大判例

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浦和地方裁判所 昭和49年(わ)721号 判決 1985年6月27日

《本籍・住居省略》

団体役員 井上信甫

大正四年一一月三日生

右の者に対する地方公務員法違反被告事件について、当裁判所は、検察官三ツ木健益、田中良出席のうえ審理して、次のとおり判決する。

主文

被告人を罰金一〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(目次)

第一  事実・・・22

一  日教組及び埼教組の組織、運営と被告人の地位など・・・22

1  日教組・・・22

2  埼教組・・・22

二  本件犯行に至る経過・・・22

三  罪となるべき事実・・・24

第二  証拠の標目・・・24

第三  法令の適用・・・24

第四  主たる争点に対する判断・・・24

一  公訴棄却の申立について・・・24

1  公訴事実の特定について・・・24

(一) 本件起訴状及び冒頭陳述の記載など・・・24

(二) 公訴事実第一「あおりの企て」について・・・25

(1) 「傘下組合員……をして、……同盟罷業を行なわせること」の決定について・・・26

(2) 「同盟罷業実施体制確立のための具体的行動」の決定について・・・26

(三) 公訴事実第二「あおり」について・・・27

2  ILO八七号条約に違反するとの点について・・・27

3  刑罰不遡及の原則に反するとの点について・・・27

4  可罰的違法性に欠けるとの点について・・・27

5  不当な弾圧意図に基づく違法起訴であるとの点について・・・27

二  地公法三七条一項、六一条四号の合憲性・・・28

1  地公法三七条一項、六一条四号の合憲性(憲法二八条との関係)・・・28

(一) 判例の変遷について・・・28

(1) 第一期・・・28

(2) 第二期・・・28

(3) 第三期・・・29

(二) 財政民主主義、勤務条件法定主義について・・・30

(三)(1) 国会は、給与その他の勤務条件の大綱を定める権限を有するに過ぎないとの点について・・・31

(2) 法律、条例、予算の原案に関して団体交渉権を有するとの点について・・・31

(四) 代償措置について・・・31

2  地公法六一条四号の罰則の合憲性について・・・32

3  憲法九八条二項違反の点について・・・33

三  「あおり」及び「あおりの企て」について・・・34

1  一般的定義・・・34

(一) 「あおり」について・・・34

(1) 「違法行為を実行させる目的」・・・34

(2) 「他人に対し」・・・34

(3) 同盟罷業などの違法行為との密接性・・・35

(4) 「勢いのある刺激」・・・35

(二) 「あおりの企て」について・・・35

2  公訴事実第一「あおりの企て」の不成立について・・・35

(一) 傘下組合員をして同盟罷業を行なわせることの決定について・・・36

(1) この決定の存否・・・36

(2) 榎本発言の「あおりの企て」の該当性・・37

(二) 同盟罷業実施体制確立のための具体的行動の決定について・・・37

(1) 具体的行動を決定し、伝達することが「あおり」に該当するか・・・37

(2)イ 「校区内対話集会」について・・・38

ロ 「全県一斉職場集会」について・・・38

3  「あおり」について・・・38

(一)(1) 榎本昇一の行動・・・38

(2) 三・二九指令とその伝達・・・39

(二) 本件行為が「あおり」に該当することについて・・・40

(三) 「あおり」の共謀関係・・・42

四  可罰的違法性がないとの主張、教職員に対する地公法六一条四号の適用は違憲との主張について・・・42

1  本件ストライキの実施・・・42

2  本件ストライキについて・・・42

3  被告人の行為の可罰的違法性について・・・43

第五  量刑の理由・・・43

第一事実

一  日本教職員組合及び埼玉県教職員組合の組織、運営と被告人の地位など

1  日本教職員組合

日本教職員組合(略称「日教組」)は、都道府県単位の教職員組合(「各県教組」とも略称する。)をもって組織する連合体であり、本件当時約五三万人の組合員を擁していた。その機関として、大会、中央委員会及び中央執行委員会がある。大会は、最高の決議機関で代議員によって構成される。中央委員会は、大会に次ぐ決議機関で中央委員によって構成される。中央執行委員会(闘争時には中央闘争委員会に切り替えられることもある。)は、執行機関であって、中央執行委員長、同副委員長、書記長、書記次長及び中央執行委員によって構成され、決議機関から与えられた事項の執行に関すること、大会並びに中央委員会に提出する議案に関することなどについて権限を有する。本件当時の中央執行委員長は槇枝元文、書記長は中小路清雄であった。また、中央執行委員会の諮問機関として、全国委員長・書記長会議、全国戦術会議などを置いている。

2  埼玉県教職員組合

埼玉県教職員組合(略称「埼教組」)は、埼玉県内の公立小・中学校教職員で組織され、本件当時約一万三〇〇人の組合員を擁し、埼玉県高等学校教職員組合と共に日教組に加盟している。その機関として、大会、中央委員会及び中央執行委員会がある。大会は、最高の議決機関で、代議員及び役員(監事を除く。)で構成される。中央委員会は、大会に次ぐ議決機関で、中央委員及び役員(監事を除く。)で構成される。中央執行委員会は、執行機関であって、中央執行委員長、同副委員長、書記長、書記次長、会計委員及び中央執行委員で構成され、大会、中央委員会決定事項の執行に関すること、各種原案の企画作成に関すること、支部代表者会議その他の各種会議の開催に関することなどについて権限を有する。また、闘争時においては、闘争などの事項についてのみ執行機関として中央闘争委員会が結成されることがある。中央執行委員長は、書記局からの要求などにもとづき中央執行委員会を召集し、右委員会の議長となるほか(委員長不在のときは当然のことながら副委員長がこれに当たる。)、組合を代表する。本件当時の中央執行委員長は被告人、同副委員長は、昭和四九年三月末までは榎本昇一、同年四月以降は小口巽、書記長は、同年三月二〇日開催の埼教組第一三〇回中央委員会までは柴崎章、その後は右榎本昇一、書記次長は佐々木征及び高柳美智子、会計委員は小島義康、中央執行委員は大木正之他九名であった。

埼教組は、県内の各教育事務所行政区画ごとに合計九支部を置いており、各市町村ごとに市町村教職員組合(通称「単組」)を組織し、各学校職場ごとに分会組織を設けている。

二  本件犯行に至る経過

日教組・埼教組、公務員関係労働組合共闘委員会(公務員共闘)は、昭和四八年四月、初めて春闘(いわゆる「七三春闘」)に参加し、同月二七日、午前半日のストライキを組織して突入し、賃金問題、争議権問題に関し、政府から前進した回答を引出したと自信を深め、翌年の「七四春闘」ではさらに進展を得ようと考えるに至った。日教組は、昭和四八年七月一〇日から一三日にかけ、群馬県前橋市の県民会館で第四三回定期大会を開催し、埼教組からは、埼教組第三七回定期大会(同年六月二二・二三日開催)で選出された被告人ら八名が代議員として参加した。右第四三回定期大会では、「七三春闘」について大きな前進を収めた旨総括するとともに、七三年度運動方針として、「七四春闘」においては、「賃金の大幅引上げ・五段階賃金粉砕」「スト権奪還・処分阻止・撤回」「年金をはじめとする国民的諸課題」の三大要求実現をストライキ目標とし、官民一体となった一大統一ストライキを組織すること、その規模は、春闘山場に一日のストライキを目途とすることなどを内容とする運動方針が可決・決定された。その後これを受けて、第一回全国委員長・書記長会議(昭和四八年八月二四・二五日開催、埼教組から榎本中央執行副委員長が出席。)、第二回全国戦術会議(同年九月二八日開催、埼教組から柴崎書記長か篠崎久書記次長が出席)、第八八回中央委員会(同年一〇月一七・一八日開催、埼教組から被告人ら四名が出席。)、第四回全国戦術会議(同年一二月一三日開催、埼教組から柴崎書記長が出席)などで全国的意思を集約して討議を重ね、内容を順次具体化していった。そして、日教組中央執行委員会は、それを踏まえて、右の三大要求実現のため、春闘決戦段階の山場に第一波早朝二時間ストライキ、第二波全一日のストライキ行動を組織してたたかう旨の「七四春闘方針案」をまとめ、同年一二月二六日発行の日教組教育新聞号外に登載し、そのころ、組合員らに配布し討議を呼びかけた。そして、昭和四九年に入り、第二回全国委員長・書記長会議(同年一月二九・三〇日開催、埼教組から榎本中央執行副委員長、柴崎書記長が出席。)を開催し、同年二月二五・二六日開催予定の日教組第四四回臨時大会に提案すべき議案について討議し、これを受けて日教組中央執行委員会は、右臨時大会に議案として提出する七四春闘方針案(先にまとめた「七四春闘方針案」にさらに具体的なたたかいの進め方などを盛り込んだもの。)を決定し、同年二月五日付の日教組教育新聞号外にその全文を登載し、傘下全組合員に配布した。

一方、埼教組においても、第一二七回中央委員会(昭和四八年九月八日開催)において、「七四春闘」に関し、春闘のたたかいの意義と重要性を理解するため一二月下旬から一月にかけて例年どおり各支部ごとの春闘学習会を用意するなどの闘争方針を決定し、第一二八回中央委員会(昭和四八年一二月一九日開催)において、その第一号議案で、三月中、下旬を見通してのたたかいの重要目標の一つとして七四春闘方針の批准を成功させることをあげ、七四春闘体制確立のための具体的行動の展開として、一月下旬から二月上旬にかけて日教組、埼教組の討議資料などを活用して支部(単組、分会を含む。)で学習会を企画実践すること、日教組臨時大会に向けて、埼教組の臨時中央委員会を召集し、日教組臨時大会への意思統一をはかることなどを決定し、「七四春闘」についての具体的事項は次の第一二九回臨時中央委員会で決定することとした。そして、昭和四九年に入ると、埼教組の各単組、分会では、独自の資料や前記昭和四八年一二月二六日付日教組教育新聞号外などを使って七四春闘構想を討議し、これら学習会などを通して組合員は次第に春闘におけるストライキに参加する決意を固めていった。こうした中で埼教組は、日教組第四四回臨時大会にのぞむ態度を決め、七四春闘へ向けての組合員の意思集約をはかるため、昭和四九年二月二〇日、第一二九回臨時中央委員会を開催し、四月の春闘山場の統一ストライキについては、日教組臨時大会の決定にもとづいて決定される戦術を完全に行使すること、この七四春闘を成功させるため、批准投票を成立させること、批准投票は同年三月四日から一六日の間に行なうこと、などを含む闘争方針を決定した。

同年二月二五・二六日、日教組は、第四四回臨時大会を開催し、埼教組からは被告人ら八名が代議員として参加した。右臨時大会においては、日教組中央執行委員会において決定した議案「七四春闘を中心とする当面の闘争推進に関する件」について審議し、春闘共闘、公務員共闘の統一闘争として、日教組において「賃金の大幅引上げ・五段階賃金粉砕、スト権奪還・処分阻止・撤回、インフレ阻止・年金・教育をはじめ国民的諸課題」の要求実現を目的とする第一波早朝二時間、第二波全一日の各同盟罷業を行なうこと、そのため、右闘争に関する組合員への指令権は、本臨時大会の決定により、各県教組委員長から日教組中央闘争委員長に委譲されたものとし、中央闘争委員長の指令により組合員は行動すること、各県教組は、三月四日から一七日までの間に郡市単位の全員集会を開いて全組合員による批准投票を行ない、三月一九日の全国戦術会議の確認を経て、本部は指令権を発動すること、各県教組の突入体制は、全組合員投票の結果、構成員の過半数の賛成によって、当該県教組のストライキ突入体制が確立したものとすること、過半数の賛成が得られなかった県教組には右戦術会議で別の戦術を指定すること、この戦いを成功させるため二月、三月を闘争体制確立月間とし、各級機関がオルグ教宣活動を集中的に展開すること、などをほぼ原案どおり決定した。

埼教組では、批准成立を目指して学習会などが積み重ねられ、同年三月四日から一六日までの間に、支部もしくは単組単位で批准投票集会を開催し、「春闘決戦段階の四月中旬第一波早朝二時間、第二波全一日のストライキ」について批准投票を行ない、同年三月一七日、中央闘争委員会において批准の結果を集約し、約六一パーセントの賛成を得てストライキ体制が確立され、その旨日教組に報告した。

日教組は、各県教組で批准投票が実施されたあとの同年三月一九日に第五回全国戦術会議を開催し(埼教組からは榎本中央執行副委員長が出席)、「戦術行使の日時を四月一一日全一日、四月一三日早朝二時間と予定するが、ストライキ実施日の最終決定は、三月二七日に予定されている春闘共闘委員会の決定を待って決定する。」旨発表するとともに、中小路書記長が各県教組の批准率を読み上げると、つづいて槇枝中央闘争委員長が批准の成立した各県教組名を一つ一つ確認し、この確認をもって、批准が過半数を超えた各県教組に対しては右戦術行使の指令が発動されたこととした。

埼教組は、翌三月二〇日、第一三〇回中央委員会を開催し、榎本中央執行副委員長において、出席した埼教組中央委員らに対し、ストライキの日取りが四月一一日全一日、四月一三日早朝二時間と予定されたことを告げ、埼教組も六〇パーセントの賛成を得てストライキの批准に成功したからストライキを成功させるよう努力しようなどと述べ、議案について質疑討論を行ない、たたかいの具体的展開として、「校区内対話集会を企画してストライキに対する理解を深めるようにすること」、「四月第二波早朝二時間のストライキの開始前に、ストライキ参加者を含めて全員早朝集会に参加すること」、「三月二九日に、本部は拡大戦術会議を開き全一日ストライキに対する確認を行ない、全一日ストライキの行動の取り方について意思統一を行なうこと」などを決定した。

ところで、同年三月二七日に予定された春闘共闘委員会による同盟罷業実施予定日の決定が同月二九日に延期されたため、日教組も最終決定をこれに合わせて行なうこととし、同月二八日、「四月中旬のゼネスト決行日は、二七日決定することになっていたが、春闘共闘委の情勢判断の結果、二九日に決定されることになった。決定次第直ちに電報で連絡する。県教組は闘争体制強化に更に努力されたい。」旨を埼教組その他の都道府県教組に対し電報で通知した。翌二九日、春闘共闘委員会は、同年四月八日から一四日までを春闘共闘第四次統一行動日としてゼネストを行なう旨決定し、その決定を受け、同日、公務員共闘は、東京都港区芝公園所在の芝パークホテルにおいて戦術会議を開催し、四月一一日第一波全一日、四月一三日第二波早朝二時間のストライキを配置することを決定した。右戦術会議に出席していた日教組の中小路書記長は、直ちに右ホテルから、東京都新宿区中落合三丁目一六番一三号ホワイトビル内の日教組本部(当時)に電話を掛け、同本部に残留していた日教組中央闘争委員に対して、ストライキ配置の日取りが右のとおり決定した旨連絡した。そして、日教組本部から、直ちに各都道府県(高)教組に対し、「春闘共闘委戦術会議の決定を受け、公務員共闘は四月一一日第一波全一日ストライキ、四月一三日第二波ストライキを配置することを決定した。各組織は闘争体制確立に全力をあげよ。」との趣旨の電話及び電報が伝達された(いわゆる「三・二九指令」)。

三  罪となるべき事実

被告人は、昭和四九年三月当時埼教組中央執行委員長であったものであるが、埼教組傘下組合員である公立小・中学校教職員をして、春闘共闘、公務員共闘の統一闘争として、「賃金の大幅引上げ・五段階賃金粉砕、スト権奪還・処分阻止・撤回、インフレ阻止・年金・教育をはじめ国民的諸課題」の要求実現を目的とする同盟罷業を行なわせるため、昭和四九年三月二九日に日教組本部から埼教組に対して前記趣旨の電話がくるや、槇枝元文、中小路清雄その他の日教組本部役員ら及び榎本昇一ら埼教組本部役員らと共謀のうえ、同日、埼玉県浦和市高砂三丁目一二番二四号埼玉教育会館において、いわゆる七四春闘の山場四月中旬におけるストライキ戦術について最終確認を行なうために開催された埼教組第五回拡大戦術会議の席上で、傘下の各支部、市町村教職員組合役員約六五名に対し、右榎本昇一において、「日教組からスト決行日を四月一一日全一日に決定するという指令が来たのでストの決行日が正式に決った。」「公務員共闘の行動と団結し、日教組は第一波、第二波のストライキを行なう。埼教組も日教組の統一ストの中でストライキを成功裡に行なわなければならない。」旨申し向けるとともに、同盟罷業当日におけるストライキ集会の組織やそれへの参加方法、支部と単組間及び組合員への連絡方法を予め確定しておくこと、並びにストライキ解除の連絡方法等右同盟罷業に際して組合員のとるべき行動を指示し、さらに右会議参加者らを介して、同年三月二九日ころから同年四月一〇日ころまでの間、同県内において傘下組合員である公立小・中学校教職員多数に対し右指令及び指示の趣旨を伝達し、もって地方公務員に対し、昭和四九年四月一一日の同盟罷業の遂行をあおったものである。

第二証拠の標目《省略》

第三法令の適用

被告人の判示所為は、刑法六〇条、地方公務員法(以下「地公法」という。)六一条四号、三七条一項前段に該当するところ、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金一〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

第四主たる争点に対する判断

一  公訴棄却の申立について

弁護人らは、本件公訴提起について、(1)公訴事実が特定していない、(2)適用すべき罰条として起訴状に記載されている地公法六一条四号はILO八七号条約三条に違反して無効のものである、(3)刑罰不遡及の原則に反する、(4)可罰的違法性が欠如しており、地公法違反の嫌疑が全くない事案について、あえて公訴提起に及んだものである、また、(5)不当な政治的弾圧意図に基づく違法なものであるから、以上いずれの点からしても本件公訴は棄却されるべきであると主張するので、以下に検討する。

1  公訴事実の特定について

弁護人らは、本件公訴事実の「あおりの企て」「あおり」の意義、具体的内容が不明であり、本件公訴事実は特定せず、罪となるべき事実を含んでいないと主張する。

(一) まず、本件起訴状の公訴事実についての記載は以下のとおりである。

被告人は、埼教組中央執行委員長であるが、傘下組合員である公立小・中学校教職員をして、公務員共闘の統一闘争として、「賃金の大幅引上げ・五段階賃金粉砕、スト権奪還・処分阻止・撤回、インフレ阻止・年金・教育をはじめ国民的諸課題」の要求実現を目的とする同盟罷業を行なわせるため、

第一  槇枝元文ら日教組本部役員及び埼教組本部役員らと共謀のうえ、昭和四九年三月二〇日、埼玉県浦和市高砂三丁目一二番二四号埼玉教育会館において、埼教組第一三〇回中央委員会を開催し、その席上、日教組第五回全国戦術会議の決定をうけ、公務員共闘の統一闘争として傘下組合員である公立小・中学校教職員をして、前記要求実現を目的として、同年四月一一日第一波全一日、同月一三日第二波早朝二時間の各同盟罷業を行なわせること、同盟罷業実施体制確立のための具体的行動などを決定し、もって、地方公務員に対し、同盟罷業の遂行をあおることを企て、

第二  槇枝元文ら日教組本部役員及び埼教組本部役員らと共謀のうえ、同年三月二九日、前記埼玉教育会館において、埼教組第五回拡大戦術会議を開催し、その席上、傘下の各支部・市町村教職員組合役員百数十名に対し、「日教組の指令により四月一一日全一日ストライキを行なうことに決定した。解除指令がないかぎりストライキに突入する。」旨を指令するとともに、右同盟罷業に際し組合員が執るべき行動を指示し、右会議参加者らを介し、同年三月二九日ころから同年四月一〇日ころまでの間、同県内において、傘下組合員である、公立小・中学校教職員多数に対し、右指令・指示の趣旨を伝達し、もって、地方公務員に対し、四月一一日の同盟罷業の遂行をあおったものである。

そして、検察官は第二回公判期日において、裁判長の求釈明に対し、第一の公訴事実中「具体的行動など」の「など」は「同盟罷業を行なわせること」と「同盟罷業実施体制確立のための具体的行動」の両者をまとめる意味である、右「同盟罷業実施体制確立のための具体的行動」の内容は、「同盟罷業の遂行のため校区内対話集会並びに全県一斉職場集会を各開催して組合員に対しあおること、及び同盟罷業の具体的実施要領を定めるとともにその実施要領に従って同盟罷業を成功させるように組合員に対しあおること」の各決定を指す。第二の公訴事実中「同盟罷業に際し組合員が執るべき行動」の指示とは、「組合員は集会に参加する方法で同盟罷業を遂行すべきこと、及び組合員は原則として単組のストライキ集会に参加すべきことなど右集会に参加するための組合員の具体的行動内容」についての指示を指す旨各釈明している。

なお、検察官は、冒頭陳述において、公訴事実第一の「具体的行動」について、

1  前回決定している春休み中の分会登校日に合わせて、校区内対話集会を企画して、ストライキについての理解を深めること。

2  四月三日を全県一斉職場集会として、組合員に対し、ストライキに際しての行動のとり方をいかすべきかなどの対策を行なうこと。

3  ストライキについては次のようにとりくむ。

①  ストライキ参加者を含めて全員早朝集会に参加する。

②  集会の要領については

イ 責任者挨拶

ロ 決議(電報採択)

ハ 意見交換

ニ 組合歌斉唱

とする。

4  本部は戦術会議をひらき、一日ストライキの行動のとり方について意思統一を行ない、連絡網等はじめから充実した計画を考える。

5  ストライキ前日から充分連絡網体制を確立して中央の動きに対応できるようにする。

などの同盟罷業実施体制確立のための具体的行動を内容とするものである。

また、公訴事実第二について、

榎本昇一において、右会議参加者に対し「日教組の指令により四月一一日全一日ストライキを行なうことに決定した。」旨述べて槇枝元文らの発した右日教組の三月二九日指令を伝達したうえ、「埼教組も日教組の統一ストの中でストライキを成功裡に行なう。」旨述べ、戦術委員から「ストライキの実施は決定したことになるか。」との趣旨の質疑に対しては、「ストライキの実施は決定したと解釈してよろしい。したがって、解除指令がないかぎりは、このままストライキに突入することとなる。」旨答えて、埼教組は四月一一日全一日の同盟罷業を実施する旨指令し、また、席上配付の「第五回拡大戦術会議」と題する資料に基づき

1  第一波四月一一日(木)全一日、第二波四月一三日(土)早朝二時間の各ストライキは、原則として単位毎にストライキ集会を組織し、人員、会場交通状況により支部集会または合同集会を企画する。

2  ストライキ参加者は、所属単組のストライキ集会に参加することを原則とし、交通ストの関係で所属単組のストライキ集会に参加できない組合員は居住地から最寄りの他単組ストライキ集会場へ参加すること。

3  各単組は、四月九日までにストライキ集会場ごとに責任者名、電話番号を支部に届け、各支部はあらかじめ必要な連絡員を準備し、各単組との間に連絡方法を確定しておく。

4  分会長はどの会場にも参加できないストライキ参加者(自宅待機者)に対する連絡方法をあらかじめ決めておく。

5  四月一一日の全一日ストライキについては初めての長時間ストライキなので、職場の経験交流、問題点の集中討議など多彩な企画をする。

6  ストライキの解除は連絡網による「指令」による。

7  ストライキ参加者及びその参加時間を四月二〇日までに本部へ提出する。など、四月一一日の同盟罷業実施に際し、組合員が執るべき具体的行動内容を示して、組合員はストライキ集会に参加する方法で同盟罷業を遂行せよとの趣旨の指示をした。

とそれぞれ述べている。

(二) 公訴事実第一「あおりの企て」について

弁護人らの主張は、「あおることを企て」というのは同盟罷業の企てそのものを示すものではないから、「傘下組合員……をして、……同盟罷業を行なわせること」を決定することがどうして「あおりの企て」になるのか判然としない、「同盟罷業実施体制確立のための具体的行動」の決定についての検察官の前記釈明では、例えば校区内対話集会を開くことがどうして「あおり行為」になるのかが分からないというのであるが、その言わんとするところは、要するに、あおりの企てというからには予定される具体的あおり行為が明示され、その計画準備をしたから「あおりを『企てた』ものである」という具合に起訴状に記載されていなければ防禦に支障を来たすというのであろう。

(1)  「傘下組合員……をして、……同盟罷業を行なわせること」の決定について

なるほど、「傘下組合員……をして、……同盟罷業を行なわせること」を決定することが何故「あおりの企て」になるのかは、一見すると明確でないように見える。しかし「あおり行為」とは、地公法上許されない同盟罷業などの違法行為を実行させる目的をもって、他人に対し、その行為を実行する決意を生じさせるような、または、すでに生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えることをいうと解されるところ(昭和四八年四月二五日最高裁大法廷判決・刑集二七巻四号五四七頁など。「全農林事件判決」などともいう。)、検察官が、論告の一七七頁一二行以下で論述しているように、埼教組の中央委員会が「傘下組合員……をして、……同盟罷業を行なわせる」と決定し、その決定が傘下組合員に伝達された場合は、「決意を生じさせるような、または、すでに生じている決意を助長するような勢いのある」と言いうるか否かは別にしても「刺激」であることは間違いないから、その伝達行為を「あおり」と評価する見解もありうる。そして、その見地に立てば、伝達を予定して決定をすること自体は、その計画準備行為であるから「あおりの企て」に該当することになろう。確かに、起訴状の記載、検察官の釈明及び冒頭陳述には「伝達を予定して」といった文言こそないけれど、その点はあえて起訴状に明示されるまでもなく明らかである(現に、証人坂本光男、同長瀬健二、同嶋田哲次郎、同大塚精子の各供述部分など、弁護人申請にかかる証人の多数が、伝達した事実や伝達を受けた事実を供述している。)。それに、現実の伝達行為が立証の対象になっている訳ではない。したがって、この決定は、決定自体の伝達の計画準備であるから「あおりの企て」であるという趣旨のものが審判の対象になっているものと十分認められるから、弁護人らの主張は失当である。(なお、検察官は、同じく論告において、この決定は、埼教組において、日教組のいわゆる三・二九指令を受け次第、被告人において、傘下組合員に対し右指令を伝達する趣旨を含んでおり、ストライキ実施の指令の発出及び同指令の傘下組合員への伝達行為は「あおり」に当たるから、右「あおり」の計画準備を含む右決定は「あおりを企てた」ものである、との趣旨の主張もしている。そして、論告の論述の順序、検察官が「あおり」の中核と主張する三・二九指令との牽連性などに照らすと、公訴事実第一は、三・二九指令の伝達の準備であるから「あおりの企て」になるという主張こそ「あおりの企て」の中核となるべきものであったように思われる。しかし、「あおりの企て」が発展して「あおり」に至ったということであれば、前者は後者に吸収されるいわゆる不可罰的事前行為とされるものであろうから、両者は包括一罪であるとする検察官の釈明と合致しないと思われるが、その点を別にしても、そもそもこの主張は、論告に至って突如として主張されたものであって、検察官の釈明や冒頭陳述からこの主張を看取することはかなり困難であり、また、弁護人らが公判手続の更新の際などに何度となく検察官に対し公訴事実の明確化を要求していたにもかかわらず論告に至るまでなんらの措置も講じなかった以上、「三・二九指令伝達の準備」というような形で「あおりの企て」が審判の対象となっていたと認めるのは相当でない。)

(2)  「同盟罷業実施体制確立のための具体的行動」の決定について

次に、この具体的行動を決定することが何故「あおりの企て」になるかであるが、起訴状の記載及び検察官の釈明によると、この部分は、まず、右(1)の決定と同様に、具体的行動を決定し、傘下組合員に伝達すること自体が考え方によれば「あおり」になるから、具体的行動を決定することは、伝達することの前段階の行為として「あおりの企て」になるという主張並びに校区内対話集会及び全県一斉職場集会の席上組合員を同盟罷業参加に向けてあおることの計画準備であるから「あおりの企て」になるとの各主張が審判の対象になっていることが分かるから、公訴事実が不特定ということはできない。確かに、校区内対話集会及び全県一斉職場集会の席上、誰が、傘下組合員に対し、どのようにあおるかという点が必ずしも明示されていないけれども、ストライキに向けての集会というのであるから、防禦に支障があるとはいえない。(なお、検察官は、論告の段階に至って、冒頭陳述四五頁の4に述べた「戦術会議を開催する。」旨の決定について、同会議(第五回拡大戦術会議)は、席上三・二九指令を組合員に対し伝達するとともに、ストライキ実施の際、組合員のとるべき行動などについての埼教組本部からの指示を行ない、傘下組合員に対しこれらの指令・指示の周知徹底を図ることを予定して開催するものであり、これらの指令・指示を伝達させることが「あおり」に当たることは明らかであるから、右会議開催の決定は、「あおりの企て」であるとも主張する。しかし、起訴状の記載及びそれについての釈明からはそのような趣旨は全く窺れず、冒頭陳述を参照しても戦術会議を三・二九指令の伝達の場と予定したとは述べられておらず、また右会議が本部からの指令を行なう場であることも明確でないから、戦術会議を開催する旨の決定がそれ自体で校区内対話集会や全県一斉職場集会などと同様の意味で「あおりの企て」に当たるという主張は、審判の対象となっていたとは認められない。)

以上要するに公訴事実第一の二つの決定は、それらの伝達自体が「あおり」になるから、その計画準備として「あおりの企て」になるという主張並びに校区内対話集会及び全県一斉職場集会において組合員に対してストライキ参加を説得慫慂することの計画準備であるから「あおりの企て」であるとの主張というように認められるから、なんら審判の対象として不特定ということはなく、弁護人らの主張は採用できない。

(三) 公訴事実第二「あおり」について

弁護人らは、「スト指令の伝達」が何故「あおり」になるのか不明である、「同盟罷業に際し組合員が執るべき行動の指示」について、検察官が釈明した事実が何故「あおり」になるのか明らかでないと主張する。しかし、公訴事実第二は、検察官の釈明を合わせて理解すると、第五回拡大戦術会議の席上、被告人ら(直接には榎本)が、埼教組の傘下各支部・市町村教職員組合役員百数十名に対し、「……ストライキを行なうことに決定した。……ストライキに突入する。」などと述べ、また同盟罷業の遂行は集会に参加する方法で行なう等同盟罷業に際し組合員が執るべき行動を指示したこと、及び右出席者らを介して、傘下組合員にこれと同様の趣旨のことを伝達したという事実が「あおり」と評価されるという趣旨の起訴であることが明らかであって、その評価が正しいか否かは公訴事実の特定の問題とは直接の関係はない。また、起訴状に「執るべき行動」の具体的内容が記載されていないとか、個々の伝達行為の特定がなされてないということはあるが、「執るべき行動」については、その具体的内容が、例えばストライキは集会を開く方法で行なうのか、自宅で待機する方法で行なうのかといったことが問題というよりも(すなわち、執るべき行動自体に「あおり」性があることが問題ではない。)、執るべき行動を「指示する」点に重要性があるものと認められるから、その執るべき行動の具体的内容が起訴状に明示されていないから防禦に支障が生ずるという性質のものではない。それに、釈明によりすでにその内容は具体的にされている。伝達行為の特定についても、伝達といった同種行為の単純な集合に過ぎないものに限っていえば、公訴事実の特定としては、本件起訴状の記載程度で十分であると認められる。したがって、この点に関する弁護人らの主張も失当である。

以上のとおり、本件公訴事実は、若干不明確な点があることは否めないが、公訴提起を無効とするほど不明確なものとはいえず、弁護人らの主張は採用できない。

2 ILO八七号条約に違反するとの点について

弁護人らは、地公法六一条四号は、ILO八七号条約三条に違反し無効のものであるから、あえてその適用を求めてした本件公訴は刑事訴訟法三三八条四号、三三九条二号により棄却されるべきものであると主張する。しかし、地公法六一条四号が右条約に違反するといえないことは後述のとおりであるから、弁護人らの主張は採用できない。

3 刑罰不遡及の原則に反するとの点について

弁護人らの主張は、地方公務員の争議行為に関しては、本件ストライキ当時には、地方公務員の争議行為をあおる等の行為のうち、争議行為に通常随伴する行為を不処罰とする、いわゆる都教組事件判決(昭和四四年四月二日最高裁大法廷判決・刑集二三巻五号三〇五頁)が存在しており、右判決が変更されたのはいわゆる岩手学テ事件判決(昭和五一年五月二一日最高裁大法廷判決・刑集三〇巻五号一一七八頁)によってであるところ、本件ストライキ当時の判例である右都教組事件判決の判旨に従えば、本件は明らかに嫌疑がないから起訴することは許されないものであったのに検察官があえて公訴提起をしたものであるから、刑事訴訟法三三八条四号によって公訴棄却されるべきものであるし、本件について被告人を処罰することは、刑罰不遡及の趣旨に反するというのである(これらの判例の変遷については後述する。)。しかしながら、最高裁判所の判例は事実上強固の拘束力(法令の解釈統一作用)を有するとはいえ、法律そのものではないから、判例の変更を法律の改廃と同視する訳にはいかず、判例変更前の行為については従来の判例の法解釈によるとするいわゆる判例の不遡及的変更という法理を仮に肯定するとしても、その場合には、変更前の判例が依拠するに値するものといえなければならないであろう。都教組事件判決は、確かに地公法に関する判例として、形式的には残っていたけれども、地公法とほぼ同様の争点をもつ国家公務員法については、本件ストライキの前年に、すでに国家公務員の争議行為に通常随伴する行為を可罰的とするいわゆる全農林事件判決があり、これは、いわゆる全司法仙台事件判決(昭和四四年四月二日最高裁大法廷判決・刑集二三巻五号六八五頁、都教組事件判決と同日に出されたものである。)を明示的に変更しているのであるから、全農林事件判決以降は、都教組事件判決が依拠するに値するものといえなくなったことは否定できない。したがって、本件行為について都教組事件判決に従って嫌疑の有無、公訴提起の適否を断ずることは相当ではなく、また、被告人を処罰することが刑罰不遡及の趣旨に反するとも認められないから、弁護人らの主張は採用できない。

4 可罰的違法性に欠けるとの点について

弁護人らは、被告人の行為は、地公法六一条四号が予定する可罰的違法性を備えていないと主張するが、後述のとおり、可罰的違法性に欠けるところはないというべきであるから、弁護人らの主張は採用できない。

5 不当な弾圧意図に基づく違法起訴であるとの点について

弁護人らは、本件公訴提起は公訴権の濫用であると主張し、その理由として、いわゆる七四春闘においては、多数の公務員組合が争議行為に参加したが、その争議の規模・態様において、日教組と同程度かそれを上回る他の公務員組合に対して、捜査や起訴は行なわれていないから、本件は、日教組のみを狙い撃ちした差別捜査・差別起訴である。その背後には、争議権奪還運動の主要な担い手である日教組を弾圧しよう、昭和四九年七月初めに予定されていた参議院選挙に日教組偏向教育論を掲げ、教育問題を同選挙の争点に仕立て上げ、当時のオイルショック後の狂乱物価などの経済問題から国民の目を回避させて選挙を乗切ろう、埼玉は昭和四七年六月に革新知事が誕生したが、埼教組はその実現に力を発揮したものであるから、その基盤を崩壊させようなどという政府、自民党の政治的意図があった。そして、埼玉における捜査の状況は、同じく弾圧を受けた東京及び岩手の教職員に対する捜査と比べても、かつてない極めて異常な大規模捜査であり、その教育環境や教師への影響は極めて深刻であった、などというのである。

確かに、七四春闘においては、日教組だけではなく、ほかにも多数の公務員組合が争議行為に参加しており、参加者数などストライキの規模も、例えば同じく地公法の適用を受ける全日本自治団体労働組合(自治労)の四月一一日のストライキ突入者数は七五万人前後に達している(証人丸山康雄の供述部分・東京公判第三六回)のに対し、日教組は約三三万人(日教組三〇年史)であったが、捜査を受けたのは日教組関係だけであること(日教組本部及び一二都道府県教組とその組合員)、公訴提起されたのは、日教組中央執行委員長槇枝元文、都教組執行委員長増田孝雄、岩教組執行委員長佐藤啓二及び被告人井上信甫の四名であること、日教組は争議権奪還運動を推進しており、その主要な担い手であること、昭和四九年七月ころに参議院選挙が予定されており、当時は昭和四七年八月ころから始まったいわゆる狂乱物価の最中にあったため、政府に対する抗議の声が上がっていたところ、同選挙の争点の一つとして、政府は教育問題を掲げて、日教組と鋭く対立していたこと、埼玉県においては、昭和四七年六月に、社会党、共産党の推薦による革新知事が誕生していたこと、その実現には埼教組の力も少なからず寄与したようであること、埼玉県内においては、本件ストライキ当日の夕刻から、地公法違反容疑で強制捜査が開始され、埼玉県警は一二二か所くらいにおいて捜索押収を敢行し、一二〇〇点以上の証拠を押収し、翌一二日以降、組合員ら多数の者に対し任意出頭を求め、同年五月一四、一五日の両日には再度の捜索押収を行なったこと、同年六月一日には被告人ら五名が逮補され、検察官は勾留請求をしたが、それが却下され、準抗告も棄却となったこと、捜索押収や任意出頭の要求、聞込み捜査の反復継続などにより、組合員やその家族、周囲の住民、父母、生徒などに大きな動揺を与えたこと、日教組に対する捜査に対し、いわゆる大手各新聞の論調は批判的であったこと、など弁護人らの主張する事実関係は、大筋において関係証拠上認定ないし推認できるものが多い。そして、それらの事実に照らすと、何か政治的背景があって、多くの公務員組合の中から、日教組を狙い撃ちして捜査、起訴を行なったのではなかろうかとの疑念をさしはさむ余地全くなしとしない。しかしながら、本件ストライキのあおりは、可罰的違法性の項で述べるとおり、一見明らかに起訴猶予相当と評価される事案とは認められないし、日教組の約五三万人という組合員数は公務員共闘の中では、自治労の約一〇〇万人に次ぐ大組織であるところ、自治労のストライキ突入者数七五万人という数字は、一時間だけ、半日だけ突入というようなものをすべて含んだ数字であって、四月一一日全一日の突入者数は相当少ないものと推認され、日教組の三三万人という数と比べ特段多いと認められるわけでもないから、他の公務員組合のストライキの方が一見明らかに違法性が強いのに殊更日教組関係を捜査・訴追の対象としたとは認められない。したがって、本件公訴提起が公訴権を濫用した違法のものであるとはいえない。

以上のとおりであるから、本件公訴提起が嫌疑なき起訴であるとか不当な弾圧意図に基づく違法なものであるとは認められず、弁護人らの主張は採用できない。

二 地公法三七条一項、六一条四号の合憲性

地公法三七条一項は「職員は、地方公共団体の機関が代表する使用者としての住民に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をし、又は、地方公共団体の機関の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。又、何人も、このような違法な行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、もしくはあおってはならない。」と規定し、同法六一条四号は「何人たるを問わず、第三七条一項前段に規定する違法な行為の遂行を共謀し、そそのかし、もしくはあおり、又はこれらの行為を企てたものは三年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金に処する。」旨規定している。

1 地公法三七条一項、六一条四号の合憲性(憲法二八条との関係)

弁護人は、地公法三七条一項、六一条四号の規定は、勤労者の労働基本権を保障している憲法二八条に違反していると主張し、詳細膨大な論述をしているので判断すると、この点については、すでにこれを合憲とする最高裁判所の判決が累次にわたりなされており、その判旨は、以下に説述するとおり、現在では、最高裁判所の判例として確立されているものとみることができ、下級裁判所としてはこれを尊重し従うべきものと考えるので、それによれば、所論の地公法三七条一項、六一条四号は憲法二八条に違反するものではないから、弁護人らの主張は採用できない。

(一) まず最高裁判所の判例を見ると、公務員及び公共企業体等の職員に対して争議行為を禁止している規定が憲法二八条に違反しているか否かに関する最高裁判所の判例には変遷がある。

(1)  (第一期) 昭和二八年四月八日大法廷判決(弘前機関区事件判決)から昭和三八年三月一五日第二小法廷判決(檜山丸事件判決)までは、公務員等に対する争議行為禁止の規定を公共の福祉の観点から合憲であるとの判断を示していた。

(2)  (第二期) ところが昭和四一年一〇月二六日大法廷判決(全逓中郵事件判決)は、公共企業体等労働関係法一七条一項について従来の判例を変更して次のとおり判示した。

公務員及びこれに準ずるものに対しても、憲法二八条の定める労働基本権は保障されるが、その従事する職務は公共性の高いもので、国民生活全体の利益の保障という見地から制約を受ける。そしてどのような制約が合憲とされるかについては、①労働基本権を尊重する必要と国民生活全体の利益を維持増進する必要とを比較衡量して……制限は合理性の認められる最小限度のものにとどめなければならない。②その制限は、……職務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものについて、これを避けるために必要やむを得ない場合について考慮されるべきである。③……違反者に対して課せられる不利益については、必要な限度をこえないように十分な配慮がなされなければならない。とくに、刑事制裁を科することは、必要やむを得ない場合に限られるべきである。④……制限することがやむを得ない場合には、これに見合う代償措置が講ぜられなければならないとの四条件を示し、これらを合憲性判断の基準とした。

ついで昭和四四年四月二日大法廷判決(都教組事件判決)も、地公法三七条一項、六一条四号の合憲性判断に関して、右全逓中郵事件判決の考えを承継し、「これらの規定が文字どおりに、すべての地方公務員の一切の争議行為を禁止し、これらの争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、あおる等の行為をすべて処罰する趣旨と解すべきものとすれば、それは公務員の労働基本権を保障した憲法の趣旨に反し、必要やむをえない限度をこえて争議行為を禁止し、かつ必要最小限度にとどめなければならないとの要請を無視し、その限度をこえて刑罰の対象としているものとして、これらの規定は、いずれも違憲の疑いを免れない。」「しかし……これらの規定についても、その元来の狙いを洞察し労働基本権を尊重し保障している憲法の趣旨と調和しうるように解釈するときは、これらの規定の表現にかかわらず、禁止されるべき争議行為の種類や態様についても、さらにまた、処罰の対象とされるべきあおり行為等の態様や範囲についても、おのずから合理的な限界の存することが承認されるはずである。」と述べ、限定的に解釈することによって合憲であるとの立場を明らかにした。そして、同日、国公法九八条五項、一一〇条一項一七号(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの、以下同じ)の合憲性判断についても同旨の判示をした(全司法仙台事件判決)。

(3)  (第三期) しかし昭和四八年四月二五日大法廷判決(全農林事件判決)は、国公法九八条五項、一一〇条一項一七号の合憲性に関して、右全司法仙台事件判例を変更し、一律全面的に争議行為を禁止し、また「あおり」等の行為をした者を処罰すると定めた右各規定が憲法二八条に違反しない旨判示した。国公法九八条五項の合憲性について、要約すると、「①公務員は、その実質的使用者が国民全体であって、公共の利益のために勤務するものであること、②公務員は、その給与が主として税収によって賄われ、その勤務条件はすべて国会において審議、決定されなければならないこと、③労働基本権制約に見合う代償措置が講ぜられなければならないが、国家公務員に対しては、身分、任免、服務、給与その他に関する勤務条件について周到詳密な規定を設け、また準司法的性格を持つ人事院を設立する等制度上整備された保障がなされていること」を争議権制約の原理として挙げ、国公法一一〇条一項一七号に関しては、「違法な争議行為をあおる等の行為をするものは、違法な争議行為に対する原動力を与えるもので、単なる争議参加者にくらべて社会的責任が重く、また争議行為の開始ないしはその遂行の原因を作るものであるから、かかるあおり等の行為者の責任を問い、違法な争議行為の防遏を図るため、そのものに対し特に処罰の必要性を認めて罰則を設けることには十分に合理性がある。」旨判示した。

昭和五一年五月二一日大法廷判決(岩教組事件判決)も、地公法三七条一項、六一条四号の合憲性判断に際し、全農林事件判決の見解に従っている。すなわち、地公法三七条一項の合憲性に関し、「地方公務員も、地方公共団体の住民全体の奉仕者として、実質的にはこれに対して労務提供義務を負うという特殊な地位を有し、その労務の内容は、公務の遂行すなわち直接公共の利益のための活動の一環をなすという公共的性質を有し、勤務条件が法律及び地方公共団体の議会の制定する条例によって定められ、給与も地方公共団体の税収等によって賄われるところから、もっぱら当該地方公共団体における政治的、財政的、社会的その他諸般の合理的な配慮によって決定されるべきである。それゆえ地方公務員の労働基本権は、地方住民全体ないしは国民全体の共同利益のために制限されることもやむをえない。他方右制約に見合う代償措置が講ぜられなければならないが、地公法上、勤務条件に関する定めがあるほか人事委員会又は公平委員会が設けられていて、制度上代償措置としての一般的要件を満たしている。」と判示した。地公法六一条四号の罰則の合憲性については、「集団的かつ組織的な行為としての争議行為を成り立たせるものは、まさにその行為の遂行を共謀したり、そそのかしたり、あおったりする行為であって、これら共謀等の行為は、争議行為の原動力をなすもの、換言すれば、全体としての争議行為の中でもそれなくしては右の争議行為が成立しえないという意味においていわばその中核的地位を占めるものであり、法が共謀等の行為のもつ右のような性格に着目してこれを社会的に責任の重いものと評価し、このような行為をしたものに対して違法な争議行為の防止のために特に処罰の必要性を認め、罰則を設けることには十分合理性がある。」との判断を示している。

その後昭和五二年五月四日大法廷判決(名古屋中郵事件判決)も右全農林事件判決、岩教組事件判決の判断を承継し、公労法一七条一項の合憲性に関し、「公務員ら公共的職務に従事する職員は、勤務条件の決定に関し、国会又は地方議会の直接、間接の判断を待たざるを得ないから、労使による勤務条件の共同決定を内容とするような団体交渉権ひいては争議権を憲法上当然には主張することのできない立場にありかつその職務は公共性を有するので、全勤労者を含めた国民全体の共同利益の保障という見地からその争議行為を禁止しても、憲法二八条に違反するものとはいえない。」旨述べている。

そこで公務員及びこれに準ずるものに対する争議行為の禁止に関する最高裁判例の流れを見ると、第一期においては、労働基本権の制約原理を公共の福祉に求めている。第二期においては、労働基本権尊重の立場から、公務員らも、その従事する職務の公共性を除いては私企業の労働者と同様に取り扱われるべきであると考え、国民生活への影響の有無、程度等を検討して制約を必要最小限度に止めるべきであるとしている。しかし第三期においては、主として公務の停廃による国民生活への影響という観点から労働基本権の制約を考えていた第二期の立場の見直しがなされた。すなわち国又は地方公共団体が、公務としていかなる業務を取り入れるかは、歴史的、社会的諸条件の制約の下になされて来ているもので、現時点において、すべての公務が民営企業に比して国民生活により強い影響力を有しているとはいえない。しかし、公務は、その影響力の強弱にかかわらず、すべて利潤の追及ではなく国民全体の生活利益のために遂行されなければならず、またその費用は、国または地方公共団体の支出により賄われることになる。一方国民は、自ら享受する公的役務がより公平、適正に提供されるための公務員制度の実現に多大な関心をいだくものである、との観点から財政民主主義、勤務条件法定主義による公務員らの労働基本権制約の原理が採用され、特に名古屋中郵事件において強調されるに至っている。

第三期における判決は、公務員らの労働基本権の制約原理を、その重点のおき方に表現上の差異は見られるが、①職務の公共性、②財政民主主義、勤務条件法定主義、③代償措置の三点に求めている。最も重視している(特に名古屋中郵事件判決において)財政民主主義、勤務条件法定主義による労働基本権制約の原理は、公務員らは、その勤務条件の決定に関して国会または地方議会の直接、間接の判断を待たざるを得ない特殊な地位に置かれているから、これらの者は、労使による勤務条件の共同決定を内容とする団体交渉権ひいては争議権を憲法上主張することはできないということにある。右判断は、その後の最高裁判決でも踏襲されていて(昭和五三年三月二八日第三小法廷判決―民集三二巻二号二五九頁参照)、最高裁判例として確立されているものとみることができる。そして、公務員らの労働基本権の制約に関する右最高裁判例の判断には、次に述べるとおり特段不合理な点も存しないから、当裁判所は、確立された最高裁判例として尊重すべきものと考える。

(二) 財政民主主義、勤務条件法定主義について

憲法七三条四号は「内閣は、……法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。」と規定し、八三条、八五条は「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。」「国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。」と規定している。これらの規定は、国家公務員の給与その他の勤務条件が国会において予算及び法律として決定されなければならない旨定めているもので、憲法上の国民主権、議会制民主主義の原則を示しているものと解される。右は直接には国家公務員に対する規定であるが、地方公務員についてもその地域住民に対する特殊な地位は同じであるから、財政民主主義、勤務条件法定主義の適用を受けるものと解すべきである。

右規定による限り、公務員の給与その他の勤務条件が法律及び予算によって決定されなければならないということは憲法上の要請である。公務員は国民全体の奉仕者であって、公平適正な職務の遂行に努めなければならず、そのことにより国民生活の向上が図られることになるが、かかる目的を実現するために公務及びそれに従事する公務員のあり方については民意を反映させることが望ましく、公務員らに対して支給される給与への租税の配分総額や配分方法等についても、国民が受ける公的役務の内容と質に関連して、国民を代表する国会において論議のうえ決定される必要がある。憲法七三条四号、八三条、八五条にはこのような趣旨が包含されていると解される。

右憲法上の要請により、公務員らの給与その他の勤務条件を決定する権限は、国会または地方議会にあることになり、公務員らの直接の使用者である政府または地方公共団体当局は、自ら雇用する者の給与その他の勤務条件を決定する権限を与えられていないことになる。

ところで団体交渉とは、労働者団体の代表者と使用者または使用者団体が給与その他の労働条件等に関して協約締結を目的として交渉することをいうが、かかる目的に至る過程を保障することが通常団体交渉権を意味している。公務員については、直接の交渉相手である政府または地方公共団体当局は、公務員らの給与その他の勤務条件を決定する権限を有していない。したがって、公務員団体は、勤務条件等に関する協約締結を目的とする本来の意味の団体交渉権が憲法上保障されていないことになる。

また、争議権は、協約締結を目的として団体交渉を行ない、自己の主張を貫徹して有利な条件を獲得するための権利であって手段的性格を有するものであるから、協約締結を目的とする団体交渉権が保障されていない以上、団体交渉を有利に進展させていくために認められている争議権もまた憲法上保障されていないといわざるを得ない。

もっとも、公務員らも憲法二八条の勤労者に該当することは明らかであるので労働基本権の保障を受け得ることになるわけであるが、労働基本権は、勤労者の経済的地位の向上を目的とするものであってそれ自体が目的となるものではないから、団体交渉権、争議権が制約されても、それによって得られるのと同程度の経済的地位を保障する制度が確立されているなど代償措置が講ぜられているならば、その特殊な地位に照らし労働基本権のうち団体交渉権、争議権について制約を受けることはやむを得ないと考えられる。

(三) ところで、弁護人らは、憲法七三条四号、八三条等によって公務員の団体交渉権、争議権を全面的に否定することはできないとして以下のような主張をする。

(1)  国会は、給与その他の勤務条件の大綱を定める権限を有するに過ぎないとの点について

弁護人らは、憲法七三条四号が、勤務条件について妥当するとしても、同号が要請しているのは、あくまで「法律の定める基準」であって、「基準」とは大枠ないし大綱であるから、その枠内において勤務条件を労使の交渉で決する余地は残されているという。しかし、憲法七三条四号、八三条の規定を解釈するのに、それらの定める国会の権限が大綱に限定され、具体的あるいは細則の決定に関しては、国会の権限が及ばないとするのは妥当ではない。けだし、基本的事項について権限を有しているのにその具体化に関して権限の行使が制限されると解することは不合理であるし、また公務員の勤務条件についての具体的事項や国の財政の具体的処理に関して国会の権限が及ばないとすると、公務員制度に民意を反映させ、国家財政を民主的にコントロールしようとする憲法上の要請が十分に実現されない結果にもなってしまうであろう。弁護人らの主張する方式を採ることも可能ではあろうが、そのような制度が憲法上当然に要請されているとはいえない。ちなみに、現行法制を見ると、公務員の給与その他の勤務条件は、詳細に法律、条例で定める方法によっており、国公法、地公法は、政府、地方公共団体当局と職員団体との間で給与、勤務時間その他の勤務条件に関しての交渉権を認めているものの、団体協約を締結する権利は否定している。公務員の勤務条件を詳細に法律、条例によって決定する方式を採用している現行法制が憲法二八条に違反しているとは考え難い。

(2)  法律、条例、予算の原案に関して団体交渉権を有するとの点について

弁護人らは、憲法七三条四号や八三条等の要請からして、議会の法律・条例ないし予算の形式で定めなければならない勤務条件事項があるとしても、その場合にも、内閣ないし地方公共団体の長が議会に提出する法律・条例・予算の原案について、これらの機関と交渉することが可能であり、そのことは議会の権限と抵触しないという。確かに、公務員団体は、関係当局に給与、勤務時間、その他の勤務条件に関して交渉を求めることができるのであるから、右事項に関する法律・条例・予算の原案について交渉を求め、合意に達することも可能ではある。しかし、交渉が行なわれても、それは原案作成権限を一方的に有する当局が公務員の代表者に意見を述べる機会を与える方式のものであって、本来の団体交渉とは性質を異にしていると解される。協約締結を目的とする本来の団体交渉権を有していると解すると、目的達成のための争議権も行使できることになるが、原案作成を巡る交渉過程において争議行為を許容することは妥当ではない。すなわち、政党政治の現状の下では、通常、行政当局と国会または地方議会の多数党との間には一体化の関係があるところ、原案作成過程から行政当局と多数党に所属する議員との間で折衝が行なわれるが、団体交渉権及び争議権を許容した場合、原案の作成過程であっても争議行為が発生し、それが国民生活に影響を与え、その結果政治的社会的問題が発生することを恐れて、行政当局が安易な妥協を余儀なくされることも起こり得るし、ひいては国会または地方議会における審議、議決に不当な影響を与えることにもなる。

したがって、原案を作成、決定する権限は、あくまで政府または地方公共団体当局にあるとしなければならず、これらの機関は独自の判断で作業を進めることができるのであって、公務員団体との交渉及び合意の成立が必要であるとか、公務員団体に原案について団体交渉を求める権利があると憲法上認められていると解すべきではない。

(四) 代償措置について

勤労者の労働基本権は、その生存権保障の理念に基いて憲法二八条の保障するものであるから、公務員の労働基本権が、公務員を含む国民全体の共同利益のために制約を受ける場合には制約に見合う代償措置が講ぜられなければならない。

前記岩教組事件判決は、地方公務員の場合に関して、「地公法上、地方公務員にも……勤務条件に関する利益を保障する定めがされているほか、人事院制度に対応するものとして、……人事委員会または公平委員会が設けられている……制度上、地方公務員の労働基本権の制約に見合う代償措置としての一般的要件を満たしている。」と述べている。

そこで代償措置制度に関する地公法上の規定をみると、給与その他の勤務条件(法二四条ないし二六条)、分限・懲戒(法二七条ないし二九条)についての規定及び人事委員会、公平委員会の設置と権限(法七条、八条、二六条)についての規定を設けている。地方公共団体の職員の給与その他の勤務条件は条例で定められ、給与はその職務と責任に応ずるものでなければならず、生計費、国及び他の地方公共団体の職員並びに民間事業の従事者の給与等を考慮して定めなければならない。人事委員会は、毎年少なくとも一回給料表が適当であるかどうかについて、議会及び長に報告し、給料額の増減についても併せて適当な勧告をすることができる。地方公務員の給与は、国家公務員の給与が人事院勧告に従って決定されたあとに、それに準じて行なわれる人事委員会の勧告に基いてその額が決定されることになっている(教育公務員については教育公務員特例法二五条の五)。

地方公務員の代償措置制度には、弁護人らの主張するように、①人事委員会が三者構成になっておらず、②地方公務員の代表者の参加が手続上承認されていないことなど利益保護のための機構として問題がないではないが、しかし、右地公法の諸規定が適正に運用されるならば、地方公務員は、自己の職務と責任に応じ、そして民間企業の労働者と均衡を失しない給与を受けることができて生活利益は擁護されることになり、身分に関する保障制度と相俟って一応代償措置としての機能は果されていると考えられる。したがって、地方公務員についても制度上労働基本権の制約に見合う代償措置としての一般的要件を満たしているとの最高裁判例は是認できるものである。

もっとも、人事院(ひいては人事委員会)の勧告に拘束力がなく、完全に実施されるという制度的保障はないこと及び人事院の勧告が民間賃金調査後に出され、国会の決議を経て公務員が賃上げ分を受け取るのは、通常年末になっていることなどは弁護人ら指摘のとおりであり、これまで賃上げの実施が見送られたりあるいは完全に実施されなかった年のあったことも認められる。

人事院勧告は昭和二九年から昭和三四年まで行なわれなかったが、昭和三五年から勧告が出されて実施時期を除いて勧告どおり給与改定が行なわれた。昭和四五年からは実施時期も勧告どおり五月一日になり、昭和四七年からは四月一日実施(勧告も四月一日実施)となり、勧告どおり完全に実施されるに至った。しかし、その後国家財政が悪化するにつれて完全実施が行なわれなくなって来た。昭和五四年、五五年は指定職について実施時期の遅れ、昭和五六年は指定職について見送られ、昭和五七年は全面的に見送られた。昭和五八年は六・四七パーセントの賃上げ勧告に対して二・〇三パーセントの実施、昭和五九年も六・四四パーセントの賃上げ勧告に対して三・三七パーセントの実施に止まったのである。

しかし勧告どおり完全に実施されなかったことから、直ちに代償措置制度がその機能を果すことができなくなったと判断することは妥当ではなかろう。公務員の給与は、国会または地方議会において財政的制約の下で決定されるものであり、政治的、社会的影響も受けざるを得ない。勧告どおり実施されなくても、実施できなかった理由、実施されなかった部分の多寡及び公務員の生活に与える影響の程度、将来回復できるか否かの見通し等を検討し、代償措置としての機能を果し得なくなっているかを判断すべきである。

昭和五四年以降において勧告が完全実施されなかった原因が国家財政の悪化にあったことは周知の事実であってやむを得ない面のあることは否定できず、勧告が完全実施されなかったことによって、個々の公務員が受けることのできなかった金額、それによって被る生活上の不利益の程度を推察すると、いまだ代償措置がその機能を果し得なくなったとはいえない。また、昭和五七年には実施が見送られたために民間労働者との間に四・五八パーセントの較差が生じ、その後も完全には是正されていないものの、差は毎年減少しており、政府も較差是正に努力していることが認められる。

なお、勧告が実施されたときでも、賃上げ分を受け取るのが年末になることは、民間労働者が春闘において妥結後直ちに賃上げ分を受け取るのに比べて半年間も遅れ、それだけ不利益を強いられているといわざるをえないが、公務員の給与は、民間労働者の給与と均衡を保たなければならないために民間給与の調査をし、更には生計費調査もしなければ勧告が出せないこと及び国会の承認を受けなければならないという憲法上の要請を満たす必要があることなどの手続上の隘路があるので、ある程度遅れることは避けられない。ただ、関係者の努力によって期間を短縮することは可能であるようにも思われるが、ともあれ年内に支給されているのであるから、代償措置制度が、その機能を失ってしまった状態に至っているとは考えられない。

以上現行代償措置制度は、人事院勧告が完全に実施されないなどその機能を十分に果しているとはいえないが、決してその本来の機能を発揮しえなくなったものではなく、全体として制度の運用は、公務員の労働基本権を制約していることがもはや許されないほどその役割を果してないとはいえない。

以上のとおりであるから弁護人の右主張も理由がなく採用できない。

2 地公法六一条四号の罰則の合憲性について

弁護人らは、地公法六一条四号が憲法一八条、二八条、三一条にそれぞれ違反すると主張し、その理由として、争議行為の「あおり」などに対し、懲役刑を科すことは、実質的には、労働者に対して刑罰による威嚇によってその意に反する苦役を強制するものである(一八条違反)、地公法六一条四号は、いわゆる不可欠業務に限らず、影響の軽微なものも含めて、地方公務員のあらゆる争議行為を一律全面的に禁止し、そのあおりなどを処罰する点で、制裁として合理性の認められる必要最少限度を超える(二八条、三一条違反)、あおりなどの構成要件が著しく不明確である(三一条違反)、などというのである。また、昭和四八年から四九年にかけての異常インフレの下で、代償措置制度は迅速にその機能を果さなかったから、かかる状況で行なわれた本件争議行為に関し地公法六一条四号を適用するのは憲法二八条に違反するともいう。

しかし、あおり行為は、後述のとおり、多数人の単純参加行為を惹起させる原動力となるものであるから、個々の単純参加行為の違法性(これ自体は可罰的違反の程度に至っていないと認められている。)を遥かに超えることは明らかである。また、職務の公共性、その停廃の影響の如何にかかわらず争議行為を一律全面的に禁止し、そのあおり行為などに刑罰を科する点を問題とするが、争議行為の及ぼす影響(法益侵害)については、職務の停廃が国民生活に及ぼす影響と並び、行政府、立法府に対する不当な圧力となる点も重要なのであるから、私立学校の教職員にストライキ権が認められているからといって、公立学校の教職員も同様でなければならないということは当然にはいえない。更に、地公法六一条四号の規定が不明確であるとの点であるが、後述のとおり、あおり行為に該当すると考えられる行為は、相当程度限定を受けるのであって、本条は、およそ争議行為に通常随伴するような行為を一切処罰するというような規定と解されるわけではないのであるから、過度に不明確とか広汎な規定であるということはいえない。また、本犯たる争議行為参加が犯罪ではないのに、その前段階の共犯行為を独立して処罰するのは適正ではないというが、あおり行為の場合に予定される正犯は、単なる個人ではなく、あえて正犯を考えるとすれば、集団であると見るべきものであろうから、弁護人らの主張はその前提において誤りがある。

また、適用違憲を主張する点であるが、確かに当時異常インフレの状況にあり、昭和四八年から四九年にかけて物価が急激に上昇し、買占め等の社会不安を惹起したことは公知の事実であり、賃金労働者である公務員も生活に圧迫を受けたであろう事情が窺える。そこで昭和四八年から四九年にかけての人事院勧告及び政府・国会の対応についてみると、昭和四五年からは勧告どおり完全実施され、昭和四八年も一五・三九パーセントの賃上げを同年四月一日から行なうとの人事院勧告どおり実施されている。ところが同年秋、物価上昇が激化したことから、組合の賃金引上げの要求もあって臨時措置として年度末手当のうち〇・三か月分が同年一二月に繰上げ支給され、支給分についても昭和四九年四月新たに年度末手当として支給された。異常インフレ状況の下、昭和四九年は五月末に暫定勧告がなされて六月に一〇パーセントの支給が行なわれ、七月末二九・六四パーセントを四月一日に遡って支給するとの本勧告がなされて完全実施されている。ただし、一九・六四パーセントの引上げ分は一二月に支給された。地方公務員である埼教組の各組合員に対しても、右のとおり支給された。物価が急激に上昇するという生活環境の中で、年度末手当から〇・三か月分の繰上げ支給をし、その後その分についても新たに年度末手当として支給する程度では十分な対応とはいいがたい。しかし、昭和四五年から勧告どおり実施されて代償措置制度が軌道に乗って来たところであり、公務員組合の強い要請があったとはいえ、制度上右のような臨時措置も講ぜられたのであるから、本件同盟罷業実施前において、代償措置制度は十分ではないにしろその機能を果していたと判断できる。弁護人らは、昭和四九年の賃上げ分のうち一九・六四パーセントについては支給されたのが一二月であり、甚だしく遅延して代償措置制度が機能しなくなったと指摘するが、支給が遅れたことは指摘のとおりであるとしても、それは本件同盟罷業実施後の事情である。公務員が正当に争議行為を行なうことが出来る場合があるとすれば、代償措置制度がその本来の機能を果さなくなったことを前提としてその是正を求める場合であろうが、機能を果さなくなっているか否かは、同盟罷業実施の際の事情によって判断すべきである。したがって、弁護人指摘の事実は、右判断をするについて考慮すべきではないことになろう。

以上のとおりであるから、地公法六一条四号が憲法一八条、二八条、三一条に違反するとか、本件に地公法六一条四号を適用することが憲法に違反するということはできず、弁護人らの主張は採用できない。

3 憲法九八条二項違反の点について

弁護人らは、地公法三七条一項、六一条四号はILO八七号条約三条一項及び八条二項に違反し、したがって、憲法九八条二項に違反する無効の規定であると主張する。その理由の要旨は、ILO八七号条約は、当初はストライキ権とは関係がないという了解のもとに採択されたが、その後ILOの諸機関(結社の自由委員会、実情調査調停委員会、条約勧告適用専門家委員会)は解釈を発展させ、今日においては、同条約は、ストライキ権と関連をもつ条約であり、ストライキの一般的禁止は同条約三条一項及び八条二項に違反し、ストライキ禁止が許容されるのは、公権力の機関として行動する公務員及び公共の困難を惹起するがゆえに真に不可欠な業務に従事する労働者に限られ、また、ストライキを禁止する場合でも、その代償措置を講ずべきこと、その場合の代償措置は、当事者があらゆる段階で参画でき、かつ、裁定はあらゆる場合において両当事者を拘束する公平かつ迅速な調停及び仲裁手続きによるべきである、などと解釈されるに至っており、ILO諸機関のこれらの解釈は、条約そのものではないけれども、極めて権威の高い公正な見解であって、長年の積み重ねを通じたいわば判例法というべきものであるから、我が国の裁判所が同条約を解釈するに当って尊重しなければならないというのである。

そこで検討するが、弁護人らも認めているとおり、同条約はストライキ権とは関係がないとの了解のもとに採択されたものであるところ、かような条約の枢要な部分についても解釈による変更がありえないというわけではないとしても、ILO諸機関の同条約についての見解は、例えば一九八三年の条約勧告適用専門家委員会の報告二〇五項(結社の自由と団体交渉)を見ても、「ストライキの全般的禁止は、組合員の利益を向上かつ擁護する為に(八七号条約一〇条)労働組合が活用しうる手段とその活動を組織する権利(第三条)に重大な制約を加えており、したがって、結社の自由の諸原則とはあいいれない。」というように微妙な言回しをとっているのであって(弁護人らが指摘するその他の報告も、いずれも同条約がストライキ権を取り扱うものであることを明言しているとまでは認められない。)、このことは、採択時の了解に反して、同条約がストライキ権を取り扱う条約であることを正面から認めることは、現時点においては到底関係各国の了解を得られる事項でないことをILO諸機関も承知しているからであろうと考えられることに照らすと、ILO諸機関の累次の報告が、弁護人らが主張するように、同条約三条の内容としてストライキ権が所論の限度で保障されており、それが八七号条約を批准した各国を拘束する絶対の解釈であるとまで述べているものと見ることはできない。弁護人らが指摘する報告や勧告は、同条約の解釈としてというよりも、同条約の保障する労働者らの結社の自由と団結権擁護のため、ILOがその立場から容認すべきものとして示した労働組合の権利というべきものであろう(四・二都教組事件判決も、地公法三七条一項、六一条四号がILO八七号条約、したがって憲法九八条二項に違反するとの弁護人の詳細な上告趣意に対して、同条約は争議権を保障するものではないと判示している。)。したがって、同条約が所論の限度でストライキ権を保障したものであると解釈すべきであるとの弁護人らの主張は採用できず、地公法が同条約に違反する無効なものであると認めることもできない。

三 「あおり」及び「あおりの企て」について

1 地公法六一条四号にいう「あおり」とは、同法三七条一項前段に定める違法行為を実行させる目的をもって、他人に対し、その行為を実行する決意を生じさせるような、または、すでに生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えることをいい、「企て」とは、右のごとき違法行為の共謀、そそのかし、又はあおり行為の遂行を計画、準備することであって、違法行為の危険性が具体的に生じたと認めうる状態に達したものをいうと解釈するのが相当である(国交法に関する全農林事件判決など)。そして、あおり等の処罰規定は憲法三一条に違反するほど不明確、曖昧なものとはいえないが、右定義に基づいて具体的な適用をする際には、この同一定義の下でも、本件ストライキに関して起訴された東京地裁及び盛岡地裁における裁判例が解釈を異にするような事情もあるので、当裁判所としても一応その具体的適用基準を明らかにしてから、被告人の行為が「あおり」「あおりの企て」に該当するか否かを検討することとする。

(一) 「あおり」について

「あおりの企て」は「あおり」が前提となるので、先に「あおり」を考えてみる。

(1)  前記定義のうち「違法行為を実行させる目的」という点であるが、「他人に対し、その行為を実行する決意を生じさせるような、または、すでに生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与え」ることは、ストライキなどを行なわせる意思の直接的な現れであるから、この「目的」というのはいわゆる目的犯の「目的」などとは異なり、超過的な主観的要素ではないと考えられる。しかし、わざわざ「目的」を要求していることに照らすと、故意の内容として、あおる事実の単なる未必的認識では足りず、意欲を必要とするものと考えるべきであろう。

(2)  次に「他人に対し」という点であるが、ここにいう「他人」とは、一人では足りず、多数人を意味するものと考えるのが正当と思われる。地公法は、ストライキなどに参加するいわゆる単純参加行為は処罰の対象としておらず、ストライキなどの違法行為をあおったりする行為だけを処罰の対象としている。そこで、一人が一人に対し、ストライキ参加を強く勧めた結果、勧められた者が、その結果ストライキに参加した場合に、参加を勧めた者があおり行為者として処罰されるということになると、正犯は処罰されないのに共犯が処罰されることになる。かような事態は刑法理論上原則として認められない。刑法上、正犯は処罰されないが、共犯だけが処罰されたり、共犯の方が重く処罰されるように見える規定としては、自殺関与罪とか逃走幇助罪などがあるが、それらは、違法性とか責任の点から説明がつくものである。そこで、「あおり」などについて、これらと同様に、かような例外を認める余地があるか否かを検討しても、個人がストライキに単純に参加する行為と、個人にストライキ参加を勧める行為とで違法性の点で差があるかというと、「あおり」は、通常の定義からいけば「幇助」に該当するかのような行為も含まれているなど、後者が前者より違法性が強いという理由を見出すことは困難と思われる。また、両者に責任の点で軽重があるかというと、組合員以外の者がストライキ参加を勧めた場合を考えれば、自己の要求獲得を目指してストライキに突入する者と、外からそれを勧める者とでは、ストライキ不参加に対する期待可能性の程度に違いがあると見ることができないわけではないが、第三者があおれば責任が重いから処罰されるが、組合幹部があおれば単純参加者と同程度の責任しかないとして不可罰となるような結果になる責任の程度の違いで説明することも相当でない。以上のように、個人のストライキ参加行為と比べ、それに対する働きかけが、その違法性・有責性において一般的に高度のものがあるとは認められず、「あおり」を個人のストライキ参加に対する働きかけ(教唆・幇助)と考えるのでは、その処罰根拠を見出すことは困難と思われる。

しかし、あおり行為などは、ストライキなどの違法な争議行為の原動力とか中核的地位を占めるから重い処罰に値するものとされている。ところで、争議行為というのであるから、性質上労働者の集団によって行なわれることが必要不可欠であって、労働者の個人的行動は争議行為ではないし、争議行為に参加している個々の労働者の不就労なども、それ自体は争議行為ではなく、単にそれの構成要素に過ぎないものである(なお、地公法三七条一項が「職員は」と規定し、あたかも争議行為の主体が個人であるかのような表現を用いてはいるが、その規定は、職員個人個人が、集団としてのストライキなどの違法行為に参加してはならないことを規定していると読むべきで、争議行為の主体が集団(一種の必要的共犯)であると考えることの妨げになるものとはいえないというべきである)。そうであるから、集団が主体というべきストライキなどの違法行為を「あおる」というのは、ストライキなどと呼べる程の集団行動を惹起する蓋然性の強い行為でなければならず、その為には、必然的に多数人に対し働きかけることが、その本質的要素であると考えるのが正当と思われる。そうとすると、個人が個人に対しストライキ参加を勧める行為などは、それがいかに強い説得行為であっても、そもそも「あおり」とはいえないということになる。もっとも、個人に対する働きかけを順次行ない、多数人に働きかけたと評価できる段階に至った場合には、「あおり」と認められることがあることは当然である。

このように、「あおり」を多数人に対する働きかけを意味するものと考えれば、「あおり」行為が単純参加行為と比べて違法性が強いことは極めて明瞭である。「あおり」行為の違法性は、少なくとも、あおられた者の惹起する違法性(この程度では可罰的違法性を備えていないとされている。)をその人数分だけ加えたものと評価されるからである。

(3)  同盟罷業などの違法行為との密接性

「あおり」行為などは、一般に、その行為が行なわれれば足り、ストライキなどが実行されることは処罰の要件ではないという、いわゆる独立教唆の扱いを受けている。その限度で通常の教唆・幇助より処罰範囲が広がっていることは否定できない。しかし、それでも多数人に対し働きかける行為があれば、直ちに「あおり」になると考えるべきではない。この点については、「あおりの企て」について、「あおり」の計画、準備であって、違法行為の危険性が具体的に生じたと認めうる状態に達したものとされていることが一つの目安となる。「あおり」以前の段階の行為ですら危険性が具体的に生じたと認めうることということが要求されているのであるから、「あおり」についてもそれと同程度以上にストライキなどの違法行為の危険性が生じたと認められる状態に達しなければならないことが要求されていると見るのは必然であろう。もっとも、あおった結果、違法行為発生の具体的危険性が生じたことが必要であるということになると、これは、ストライキなどの実行に着手したことを意味することになろうから、いわゆる共犯の正犯に対する実行従属性を肯定することになり、相手が多数人であるという点を除き通常の共犯と大差なくなることになる。かように考えると、時間的処罰範囲はかなり明確になるが、従来の一般的見解とは異なるので、直ちに採用することは相当ではないであろう。

しかし、「違法行為の危険性が具体的に生じたと認めうる」という表現がとられていることに照らすと、ストライキの実行に着手することが不要といっても、それは時間的関係においてであって、あおり行為の性質としては、単にストライキなどを実行する決意を生じさせたり、強めたりするに足りる行為であればそれで充分であると考えるべきではなく、更に、その行為があれば必然的にストライキなどが実行に着手されるであろうといえるような、あるいは、その行為なくしてはストライキ実行が困難となるような意味で、ストライキなどの実行を招来する危険性が高度な行為であることが必要と考えるべきであろう。

(4)  「勢いのある刺激」という点については、あおり等を処罰する趣旨が、争議行為の企画、指令、指導などの行為を取り締まることを念頭においていることから、例えば言葉によってストライキなどへの参加を説得・慫慂する場合には、その言葉自体に強い煽動的な文言が含まれている場合だけではなく、その言葉が、組織的統制力を背景としたものであるというようなことも合わせ含むものと考えなければならない。

以上のとおり、「あおり」行為を更に分析すると、処罰範囲は相当限定されているものといわなければならない。

(二) 「あおりの企て」について

「あおり」は以上のとおりであり、「あおりの企て」とは、そのようなあおり行為の遂行を計画、準備することであって、違法行為の危険性が具体的に生じたと認めうる状態に達したもの、ということになろう。この場合に、「違法行為の危険性が具体的に生じたと認めうる状態に達したもの」という制限がついており、一見「あおりの企て」とストライキなどが直接結びついているような表現がとられているが、「あおりの企て」は直接には「あおり」を目的とするものであるから、「違法行為の危険性が具体的に生じたと認めうる状態に達したもの」といっても、その当然の前提として、「あおり」行為の危険性が具体的に生じたと認めうる状態に達したということも要求されていることになると考えられる。

2 公訴事実第一「あおりの企て」の不成立について

検察官は、埼教組第一三〇回中央委員会席上における被告人らの行為があおりの企てに該当すると主張するが、その具体的内容は、「公訴事実の特定について」の項で述べたとおり、大きく分けると、①日教組本部役員及び埼教組本部役員らと共謀のうえ、公務員共闘の統一闘争として傘下組合員である公立小・中学校教職員をして、四月一一日第一波全一日、同月一三日第二波早朝二時間の各同盟罷業を行なわせること(以下「傘下組合員をして同盟罷業を行なわせること」という。)を決定したことと、②同盟罷業実施体制確立のための具体的行動を決定したことの二つであるが、②は更にその具体的内容が検察官の釈明や冒頭陳述で明らかにされていることは前述のとおりである。そこで、以下順次これら決定が「あおりの企て」に該当するものであろうかを検討することとする。

(一) 傘下組合員をして同盟罷業を行なわせることの決定について

(1)  この決定については、それが「あおりの企て」と評価できるのか否かという問題以前に、そもそもこのような決定が、埼教組第一三〇回中央委員会で行なわれたのかという点も争いとなっているので、最初に、このような決定の存否について検討する。

まず、このような決定が同中央委員会で決定されたというからには、その前提として、その旨の提案が存在しなければならないはずであるが、同中央委員会の議案書にはその旨の記載は認められない。そこで、検察官が、いかなる証拠に基づいて右決定の提案があったと主張しているのかを見てみるに、小島富士子の検察官に対する供述調書に、榎本副委員長が、同中央委員会の席上「日教組は春闘共闘委員会の行動にあわせ四月一一日全一日ストを、四月一三日早朝二時間ストをかまえる予定である。」「埼教組も六〇パーセントの賛成を得てストの批准に成功した。全国では三五県がストの批准に成功している。したがって埼教組は、日教組の戦術会議の決定にしたがい、ストライキを成功させるよう努力しましょう。」と述べた(以下「榎本発言」などともいう。)旨の記載があるが、検察官の冒頭陳述及び論告に照らすと、この榎本発言(特に後段)をもって右決定の口頭提案ととらえているように窺われる。かような言葉は、同会議の席上榎本から発せられたとしてもなんら不思議のない内容であり、小島自身法廷において、四月一一日全一日、同月一三日二時間のストライキということは口頭提案され、可決の対象となっていたとの趣旨の供述をしていることに照らすと、かような榎本発言が事実存在したと認めるのが相当である。そこで、この榎本発言が、「傘下組合員をして同盟罷業を行なわせること」の口頭提案であったと考えることができるかを検討する。

「本件犯行に至る経過」の項で述べたとおり、埼教組がストライキ突入を決める経過としては、

① 埼教組第一二九回臨時中央委員会(昭和四九年二月二〇日)において、四月の春闘山場の統一ストライキについては、日教組臨時大会決定にもとづいて、決定した戦術を完全に行使すること、このストライキを成功させるため、批准投票を成功させること、などを決定し、

② 日教組第四四回臨時大会(同月二五・二六日)において、日教組は七四春闘において、第一波早朝二時間・第二波全一日の同盟罷業を行なうこと、そのための指令権は、この臨時大会の決定により、各県教組委員長から日教組中央闘争委員長に委譲されたものとし、中央闘争委員長の指令により組合員は行動すること、各県で批准投票を行ない、三月一九日の全国戦術会議の確認を経て、本部は指令権を発動すること、各県教組の突入体制は、全組合員投票の結果、構成員の過半数の賛成によって、当該県教組の突入体制が確立したものとすること、などを決定し、

③ 日教組第五回全国戦術会議(同年三月一九日)において、戦術行使の日時を四月一一日全一日、同月一三日早朝二時間と予定するが、ストライキ実施日の最終決定は三月二七日に行なう旨発表し、中小路書記長が、各県教組の批准率を読上げ確認し、槇枝中央闘争委員長がスト指令権を発動し、

④ 埼教組第一三〇回中央委員会(同月二〇日、「あおりの企て」とされている会議)が開催され、榎本が右③の決定内容を伝え、榎本発言があって、

⑤ 埼教組第五回拡大戦術会議(同月二九日、いわゆる「三・二九指令」が伝達された会議)の開催、という手順であり、

その後、中央交渉が妥結に至らず、中止指令が出されずに自然の推移でストライキに突入している。

以上のとおり、日教組では、一般に見られるような、まず批准投票でスト権を確立し、その後交渉を重ね、交渉が決裂したらストライキ突入を指令するというような方式をとらず、最初に停止期限付のような形でスト指令を発し、その後交渉を重ね、交渉が妥結すれば中止指令を発出するという方式をとっていること、及び、埼教組のストライキ突入体制は、批准投票で組合員の過半数の賛成が得られれば、それで確立することになるという方式をとっていること、そして、三月一九日の段階で不完全なものとはいえ、スト指令も発出されていることも認められる。かように、通常と異なるストライキ体制確立の方式やスト指令権発出の形態をとっているのは、かつて文書による「突入指令」のようなものを出したため、それが「あおり」だとして取締りを受けた経験に鑑み、それを避けようという趣旨でこのような特異な方式をとっているもののようである。

ともかくも、三月一九日の段階では、ストライキ突入体制が確立し、一応スト指令が発出されているのであるから、その後の埼教組第一三〇回中央委員会で、先の批准投票の結果を覆すことになるかもしれないような「傘下組合員をして同盟罷業を行なわせること」の可否を更に提案し可決するというようなことがあるとはにわかに考えられない。もっとも、批准投票の段階では「春闘決戦段階の四月中旬第一波早朝二時間、第二波全一日のストライキ」ということで賛否を問うているわけであるから、その後、三月一九日の段階で、それが全一日が先に来るというようなストライキの配置になったという事情があるから、この点を捉えて、埼教組で新たに予定されたストライキの配置について改めて採決するのだというように考えられない訳ではないかもしれない。しかし、批准投票の段階でも、三月二〇日の第一三〇回中央委員会の段階でも、ストライキの日取りは確定していなかったものであり、一般にスト権確立のための批准を行なうについて、ストライキ実施日を具体的に決めてからでなければ投票ができないということはなく、ストライキ実施の期日は、組合幹部において、時期を見計って決定するのが通常であると考えられるから、全一日のストライキが先になったかあとになったか、また期日がある程度確定した(三月一九日段階)、最終的に期日が確定した(三月二九日段階)というようなそれぞれの段階で、いちいちその可否を、日教組から見れば下部組織である埼教組の方で採決し、もし否決されればストライキには参加しないというようなことを行なうとは考えられないし、従来そのようなことを行なって来たとも認められない。しかも、榎本発言というのは、「……埼教組は、日教組の戦術会議の決定にしたがい、ストライキを成功させるよう努力しましょう。」というように、ストライキ実施の賛否を改めて問う議題の口頭提案と見るには、いかにも表現がそれらしくない。このように、三月二〇日の段階では、埼教組においてスト権は確立したあとであり、一応スト指令が発出されていること、榎本発言の文言などに照らすと、検察官が主張する、「傘下組合員をして同盟罷業を行なわせることの決定」が存在したとは認めることができない。

(2)  しかし、前述のとおり、小島富士子のように、組合員の中には、右のような提案がなされ決定されたと受け止めた者もいないわけではないので、念のため、そのような受け止められ方をする発言が「あおりの企て」に該当する可能性があるかを検討する。

この場合に「企てられた」と考えられる「あおり」は右発言の趣旨が傘下組合員に伝えられることということになろうが(前述第四の一1(二)(1)参照)、このことが、先に述べた「あおり」の定義、要件に該当するか否かを考えるに、榎本発言が多数人に対するものであることは明らかであるし、被告人と共謀の上なされたこと、組織的統制力を背景としたものであることの点は、後述する「三・二九指令」の伝達が「あおり」になるということと同様の理由で、それぞれ認められると考えられるが、本件ストライキとの密接性の点で「あおり」性を欠くものと考えられる。すなわち、埼教組においては、事前にスト指令を停止期限付のような形で発し、あとは中止指令なり解除指令だけしかないという異例の方式を採っており、この事前のスト指令としては、後述のとおり、三月一九日の槇枝委員長の発したスト指令及びそれを補充し完全なものとする趣旨のいわゆる「三・二九指令」が発出されているが、「三・二九指令」は中止指令がない限りストライキが当然のように実行に移されるという性質を持つものであって、埼教組においては突入指令と呼ぶべきものであるけれども、榎本発言は、まだストライキ実施の予定日が決ったという段階での行為であって、榎本発言が伝達されれば、あとは何もしないでも当然のようにストライキに突入するとの性質を持つものとはいえない。もちろん「日取りが四月一一日全一日と予定された。特段の変更の連絡がなければこの日に当然ストライキに入れ。」という趣旨の発言であったとすれば、埼教組方式では突入指令という評価が可能となる場合もあろうが、榎本発言は、あくまで「予定」ということで述べられており、のちに正式な決定が三月二七日(実際は二日遅れて二九日となったが。)に改めて指示されることを同時に告げているのである。もっとも、弁護人申請の証人の中には、榎本は、日取りはほぼ確定だというように述べたと供述するものもいるが(証人斎藤健の供述部分など)、仮に榎本が実際にそう述べたのであったとしても、正式に日取りが決まるのは三月二七日であると述べており、それが二九日に変更されたことについては、日教組が全国の県教組に電報を打って通知しているなど重要事項と捉えており、日取り決定に組合員らが関心を寄せていたことは否定しうべくもない。そうであるから、榎本発言が伝達されただけでは当然のようにストライキに突入できるわけではなく、その後の「三・二九指令」を待たなければならない。そのような行為は、ストライキとの密接性に欠けるものと考えざるを得ず、「あおり」が予定する高度の危険性を備えているものとは認めがたい。したがって、榎本発言は、その伝達が「あおり」に該当しないから、発言自体も「あおりの企て」にはならないものと認められる。

(二) 同盟罷業実施体制確立のための具体的行動の決定について

この決定は、前述のとおり(第四の一1(二)(2)参照)、①これら具体的行動を決定し、傘下組合員に伝達することが「あおり」であるから、伝達を予定して決定することは、その計画準備として「あおりの企て」になるという主張と、②右具体的行動のうち「校区内対話集会」及び「全県一斉職場集会」の席上組合員を同盟罷業参加に向けてあおることの計画準備であるから「あおりの企て」であるとの検察官の各主張であると理解すべきところ、

(1)  具体的行動を決定し、組合員らに伝達することが前記「あおり」の定義、要件に該当するといえるかであるが、

まず、本委員会で本件ストライキに関して可決決定された事項は、「埼教組第一三〇回中央委員会議案」にあるとおり(若干の訂正がある。)、ある程度具体的な行動についての予定としては、

○ 春休み中の分会登校日に合わせて、校区内対話集会を企画してストライキに対する理解を深めること

○ 四月三日以降各支部でストライキについてのPR活動を起こすこと(新聞の毎戸配布、チラシの毎戸配布、ポスター、ステッカーの利用)

○ 第二波早朝二時間ストライキについての取組方として、①ストライキ参加者を含め全員早朝集会に参加する、②カット時間は二時間で、実質勤務時間開始後、一時間五〇分から一時間五九分までとする、③集会の要領については、前回一二・四と同様にする、④会場等については志気の高まる工夫をする、⑤集会後は必ず即日確実な点検を行ない支部に集約すること

○ ストライキに関する当局の動きについて、全員で細かいメモ活動をして不当労働行為を排除するようにしていくこと

○ ストライキ前日から十分連絡網体制を確立して中央の動きに対応できるようにすること

○ 三月二九日に本部は戦術会議を開き一日ストライキに対する確認会議を行なうこと

などであるが、これら決定は、四月一一日、一三日のストライキを成功裡に遂行しようとするためのものであり、ことにストライキの具体的実施方法などの決定は、多数組合員に向けられていること、ストライキの実施方法を組織的に統一する点で組織的統制力を背景としたものといえることは認められようが、やはりストライキとの密接性に欠けると考えられる。すなわち、「あおり」行為と認められるためには、前記のとおり、その行為があれば必然的にストライキなどの実行に着手されるであろうといえるような、あるいは、その行為なくしてはストライキなどの実行が困難となるような行為であることが必要と考えられるが、埼教組第一三〇回中央委員会での右決定内容の伝達は、その決定内容からして、それが伝達されれば必然的にストライキに突入する性質のものではないから、主として、その決定の伝達がストライキの実行に必要不可欠な性質の行為と認められるであろうかということになるが、その決定内容は、前記のとおり、四月一一日全一日のストライキとの関係ではそれほど具体的な内容を決めているわけではないし、埼教組は昭和四三年からスト批准が成立するようになっており、従来から早朝一時間程度のストライキは毎年行なっており、前年の昭和四八年四月二七日には午前半日のストライキを実施しているなど、本件当時ストライキを打つことに慣れていたことは否定できない。本件ストライキは初めての全一日ストライキということではあるが、ストライキ当日の具体的取組について本大会で全一日ということを特に意識して特別の体制を決定しているとも認められない。そうとすると、本中央委員会の決定が本件ストライキ実施に欠くことのできない事項を決定しているとはいえず、その伝達はストライキの原動力と呼べるほどストライキ実施を招来する高度の危険性がある行為とは認められないから、「あおり」と認められず、したがって、その伝達を予定しての決定は「あおりの企て」とは認められない。

(2)  次に、右決定事項中の「校区内対話集会」及び「全県一斉職場集会」は「あおり」の場であるから、それらを開催する旨の決定は、その計画準備として「あおりの企て」になるとの検察官の主張について見てみると、

イ 「校区内対話集会」が「あおり」の場であるか否かであるが、校区内対話集会というものは、組合員が、通学区域内の父兄を対象にストライキについて理解を深めてもらう趣旨で開催する集会と認められるところ(証人廣瀬修己、同榎本昇一の各供述部分)、検察官は、その際に、父兄のみならず、これに参加した組合員に対してストライキ決行の意義を訴え、これへの参加を促す説得慫慂活動を行なうことを予定しているから「あおり」であると主張する。検察官主張のような事実が存在するか否かは明らかではないが、仮にそうであるとしても、このような、父兄を対象とした集会で、附随的に組合員に対してもストライキ参加の意義を訴えたとして、その訴え行為があれば必然的にストライキが実行に着手されるとか、その訴え行為がなければストライキ実行が困難となるなどとは到底考えられず、ストライキとの密接性に欠け、また、組合員への訴えは直接の目的に掲げられてないから、組織的統制力を背景として行なわれる行為であるかについても疑問があり、それらを合わせ考えると、「校区内対話集会」は到底「あおり」を目的とした集会とは認められない。したがって、それを開催する決定をしたからといって「あおりの企て」になるものとは認められない。

ロ 次に「全県一斉職場集会」についてであるが、この点については、前記議案書中の第一号議案四1(5)にその旨の記載があるが、弁護人ら申請の証人が口を揃えてこの項は削除された旨述べており(証人平沢孝保、同大塚精子、同斎藤健、同廣瀬修己の各供述部分)、これら証言が虚偽であることを窺わせる事実も全く見当たらないから、「全県一斉職場集会」を開催する旨の提案は撤回されており、同委員会でその開催が決定されたことはないものと認められる。

以上のとおり、検察官が、公訴事実第一として「あおりの企て」と主張するものは、いずれもその予定した行為が「あおり」と認められないとか、その行為自体が存在しないため「あおりの企て」とはならず、結局犯罪の証明がないことになるが、判示「あおり」の罪と包括一罪の関係にあるとして起訴されたものと認められるから、主文において特に無罪の言渡をしない。

3 「あおり」について

弁護人らは、被告人の犯罪の成立を争っているので、(一)(1)榎本昇一の行動、(2)三・二九指令とその伝達、(二)本件が地公法六一条四号に該当することについて、(三)「あおり」の共謀関係について順次審究する。

(一)(1) 榎本昇一の行動

弁護人らは、榎本昇一は、配布された「第五回拡大戦術会議」と題する書面に基づいて協議事項の説明を行ない、ストライキ決行期日について単に「日取りはそのとおり、変更はない。」と述べたに過ぎないと主張する。

榎本昇一の本件行為に関する証拠としては、同人の公判廷における供述記載、小島富士子の検察官に対する供述調書、小島富士子その他埼教組第五回拡大戦術会議に出席した者たちの公判廷における各供述記載がある。

まず本件後間もないころに作成された右小島の検察官に対する供述調書(以下単に「小島調書」ともいう。)の任意性及び信用性について検討する。

小島富士子は、昭和二九年に川越市立初雁中学校に就職し、そのころ埼教組に加入し、同三五年に川越市教組婦人部長、同三八年に同市教組書記次長、同四三年から四五年にかけて埼教組中央執行委員(その間埼教組婦人部長、書記次長等を兼任し、本部専従として組合活動に従事していたこともあった。)を歴任し、同四八年四月から川越市教組執行委員、同年一〇月から初雁中学校分会執行委員となり、同四九年二月に同年度川越市教組書記長に選出されて四月から就任することになっていて、埼教組第一三〇回中央委員会には中央委員代理として、埼教組第五回拡大戦術会議には新書記長として出席した。小島調書が作成された経緯は、同人の叔父田中義之からの再三の求めに応じて右田中宅に赴いて、同所で但木検事の取調べを受けたというものである。

小島富士子は、その立場上検察官の取調べを受けることに抵抗感があり、同人がそれを望んでいなかったことは明らかであり、叔父の求めを断わり切れずに渋々右田中宅を訪れて、同所で但木検事の取調べに応じた事情は窺える。しかし私人宅で、しかもしばしば訪問していたと思われる叔父宅という取調べの場所、小島富士子の年齢(昭和六年五月一〇日生)、経歴等を考慮すると取調検事が無理な事実聴取をしたとか、小島富士子が強いられて意に反する供述をせざるを得なかったとかいう状況にはなかったものと判断できる。

本件犯行に関する小島調書の記載の要旨は、榎本書記長が、「日教組からスト決行日を四月一一日全一日、四月一三日早朝二時間に決定するという指令がきたので、ストの決行日が正式に決った。」「公務員共闘の行動と団結し日教組は第一波、第二波のストライキを行なう。埼教組も日教組の統一ストの中でストライキを成功裡に行なわなければならない。」「各単組で本日の戦術会議の方針を伝達してください。」と述べたというのである。作成の経緯は前記のとおりであるが、特段偽りの供述をするおそれのある状況にはなかった。小島富士子は埼教組第五回拡大戦術会議に川越市教組の代表として出席したものであって、右会議終了後市教組、分会等で会議の結果を報告しなければならない立場にあったから、議事の進行を注意深く見守っていたはずである。また同人は、以前組合活動を熱心に行なってきていて、埼教組婦人部長、書記次長等の要職にも就き埼教組本部専従として活躍したこともあるから、会議の運営には精通していたはずであり、会議における同人の認識内容には、出席者の認識など一部に誤りがあるものの、おおよそのところ誤りはなかったと考えるのが相当である。しかも小島調書が作成されたのは昭和四九年五月六日で、本件犯行の日から四〇日も経ていないという短期間後であるから記憶もまだ鮮明に残っていたと考えられ、更に小島調書の内容も整然としていて、無理な供述と見受けられる点はなく、供述の態度にも印象の強かった事項に関しては、そのように述べるなど記憶を確かめるように供述したことも窺える。

以上のとおりであるから、小島調書は、大綱において信用するに足りるものである。

ところが小島富士子は、公判廷では小島調書と異なった趣旨の供述をしている。重要な相違点は、会議の開始時刻が小島調書では午後三時ころになっているのに対し、公判廷の供述では午後二時半ころとなっていること及び榎本昇一は「日教組から……指令がきた」との発言はしなかったと述べていることである。しかし同人は、公判廷でも榎本昇一が「四月一一日全一日スト、一三日早朝二時間ストを決行する。」と発言し、「日教組から連絡があった。」ともいったように記憶していると各供述していて、同盟罷業の決行及び日時について日教組から何か意思の伝達があったとする点においては一貫した供述をしている。そうすると小島富士子の公判廷における供述及び検察官に対する供述調書に他の関係証拠を総合すると、榎本昇一の行為としては判示のとおりの事実を認定することができる。

証人榎本昇一は、右小島供述に反して、協議事項の説明に際して「日取りはそのとおり、変更はない。」と述べたにすぎないと供述し、また会議出席者の廣瀬修己、落合好雄、斎藤健らも同旨の供述をしている。しかし、小島富士子のこの点に関する供述は、前記のとおり一貫していて信用性の高いものと考えられるのに対し、右榎本らの供述は、同人らの立場、被告人との関係を考慮するとにわかに措信しがたいものといわざるをえない。

(2)  三・二九指令とその伝達

弁護人らは、三月二九日に日教組本部から埼教組に電話連絡があったのは午後四時ころであって、これは埼教組第五回拡大戦術会議においては組合員に伝達されていないと主張する。そして証人榎本昇一は、日教組本部から電話連絡がきたのは当日午後四時ころであり、電報が配達されたのは会議終了後であったと述べている。

しかし、小島富士子は、前示のとおり小島調書で、榎本書記長が「日教組から……という指令がきたので、ストの決行日が正式に決った。」と発言した旨述べ、また公判廷においても「日教組から連絡があった。」と発言したように記憶している旨述べていて、右供述からは会議開始前に日教組本部からストライキ決行期日に関する意思の伝達があったことが窺える。

そこで日教組本部から電話がかかってきた時刻及びその電話の内容について検討する。この点についての右榎本供述は、当日公務員共闘戦術委員会に出席して同盟罷業決行期日の正式決定に関与した中小路清雄日教組書記長の公判供述によって一応裏付けられている。すなわち中小路は、「公務員共闘戦術委員会に出席したが、右会議は午後二時から三時半ないし四時ころまで開かれ、その後に期日の正式決定がなされたことを日教組本部に電話連絡した。」旨述べている。

しかし被告人らの所属する日教組、埼教組は、多数の教職員によって構成する組織体であって、かかる大規模な組織体が統一ある行動をする場合は、正確な指令、指示の下に行なわなければならないことはおのずから明らかである。本件においても同盟罷業決行期日の決定・伝達は最重要事項であったはずであり、本来三月二七日に決定される予定であったのが二九日に延期されたことについても、二八日付で日教組本部から傘下各県教組宛電報連絡がされており、このことも期日伝達の重要性を示しているものと考えられる。そうすると榎本昇一が、午前中に日教組本部に問い合わせたのみで正式決定の伝達も受けないまま独断で議事進行を図ったということはいかにも不自然であるといわざるをえない。まして簡単にできる再度の電話確認を会議開始前にしなかったということは理解に苦しむところである。

資料労働運動史昭和四九年版の抄本には公務員共闘戦術委員会が正午から開催されたと記載されている。それからすると、同盟罷業決行期日が正式に決定されたことの電話が午後三時前に埼教組本部にかかってきたことは十分推認されるところである。埼教組第五回拡大戦術会議は予定時間から一時間近くも遅れて開始されているが、それは右電話がかかってくるのを待っていたからであると推察することもあながち不当ではなかろう。

そうすると右榎本、中小路らの供述には措信しがたいところがあるといわざるを得ない。それに対し右小島供述は前記のとおり一応信用性のあるものであり、また組織上の指令・指示は正確に伝達されなければならないから十分確認して下部構成員に通告されることが通常であるという現実の運用にも合致している。したがって右小島供述に組織の実際の運用方法、会議の開始が遅れていること等の諸事情を総合してみると、埼教組第五回拡大戦術会議の開始直前に、日教組本部から埼教組に同盟罷業の決行期日が正式に決定されたことの電話がかかってきたと推認するのが相当であり、会議終了後に配達された日教組本部からの電報の内容を合わせ考えると、その電話の内容は、いわゆる三・二九指令として先に判示した趣旨のものであったと認められる。

そして埼教組では榎本書記長が右電話を受けた。埼教組本部役員らは、折から被告人が埼教組第一三〇回中央委員会の決定に基づき召集していた埼教組第五回拡大戦術会議の場において、傘下組合員に対し、直ちに右三・二九電話指令の趣旨を伝達するとともにストライキに際し組合員がとるべき行動について指示することとし、昭和四九年三月二九日、埼玉教育会館において開催された右戦術会議の席上において、議長として同拡大戦術会議を主宰した被告人、榎本書記長及び同拡大戦術会議に列席したその他の埼教組本部役員らは互に意思相通じたうえ、同拡大戦術会議に出席していた約六五名の傘下各支部、市町村教組代表者に対し、被告人が「ストライキを成功させよう。」などと訴える挨拶をしたのち、榎本書記長において「日教組からスト決行日を四月一一日全一日に決定するという指令がきたのでストの決行日が正式に決った。」旨述べて日教組の三・二九指令を伝達したうえ、さらに「公務員共闘の行動と団結し、日教組は第一波、第二波のストライキを行なう。埼教組も日教組の統一ストの中でストライキを成功裡に行なわなければならない。」旨申し向けるとともに、同盟罷業当日におけるストライキ集会の組織やそれへの参加方法、支部と単組間及び組合員への連絡方法を予め確定しておくこと、並びにストライキ解除の連絡方法等右同盟罷業に際して組合員のとるべき行動を指示し、さらに右会議参加者らを介して、同年三月二九日ころから同年四月一〇日ころまでの間、同県内において傘下組合員である公立小・中学校教職員多数に対し右指令・指示の趣旨を伝達したことを認めることができる。

(二) 本件行為が「あおり」に該当することについて

榎本昇一は、埼教組第五回拡大戦術会議において、判示のとおりの発言指示を行なったものであるが、右行為が地公法六一条四号の定める「あおり」に該当するか否かについて検討する。

埼教組第五回拡大戦術会議は、支部、単組の代表を出席させて、本件同盟罷業に関する最終確認を行なうために開催されたものであるが、その席上、榎本昇一は新書記長として、支部単組の役員約六五名に対し指示を行なうにあたり、まず前記のとおり日教組のストライキ決行とその期日の決定及び埼教組の参加を告げている。それは、日教組本部からのいわゆる三・二九指令を受け、槇枝中央闘争委員長の指令権発動により示された日教組本部の意思決定を伝達したものにほかならない。その発言内容は、直接同盟罷業への参加を指令したものではない。しかし、いわゆる三・二九指令の性質を検討すると、これは、単なる日取りの連絡ではなく、指令の性質を有するものというほかはない。すなわち、日教組のような全国的規模の組織が統一ストライキを実施するためには、幹部による指令権の発動が必要であるところ、本件ストライキに関するスト指令権の発動としては、昭和四九年三月一九日開催の日教組第五回全国戦術会議の席上槇枝中央闘争委員長が宣言的に発したそれが存在することは前述したとおりであるが、その指令は、弁護人らは否定するけれども、傘下組合員に伝達されなければならないことが明らかであり、その方法は、商業新聞の報道などといった方法によるのではなく、組合の正規のルートによって伝達されるのでなければならない。そうでない限り、傘下組合員らは、いつ、どの程度の規模のストライキを行なうのかを確実に把握することができないし、そもそも一体として行動を開始することができないからである。ところで三月一九日段階での指令権発動は、まだストライキの日取りが確定していない段階のものであって、指令としては不完全なものと認められるから、その指令を補充し完全なものとする行為及びそれの傘下組合員への伝達も必要不可欠である。それに該当するものとしては、いわゆる三・二九指令しか存在しない。そうであるから、三・二九指令は、表面上は単なる日取りの連絡の外観を装ってはいるが、その実質は、三月一九日に発動された指令を補充する意味のやはり一つの指令と認められる。したがって、それを伝達した榎本の行為は、決行日時も確定して日教組が同盟罷業を行なうこと、埼教組も参加することを告げて、多数の傘下組合員に同盟罷業の成功を呼びかけたものであって、その意味するところは、日教組及び埼教組本部の意思を表明して同盟罷業を成功させるために一般組合員に対して参加を求めることにあったと考えられるから、組織的統制力を背景にして同盟罷業への参加を慫慂したというべきである。

そして埼教組第五回拡大戦術会議は、同盟罷業へ向けて開催された各種会議のうち最後の会議であって、その際同盟罷業決行当日において組合員のとるべき行動についても具体的に指示して決行準備をほぼ完了し、期日の到来とともにストライキに突入できる態勢を確立したことになるから、榎本のした指令の伝達等の行動は、スト中止指令が発動されない限り必然的に同盟罷業が決行されるという性質の行為であってストライキ実施の危険性が高度な行為と評することができる。

したがって、榎本昇一の本件行為が前記「あおり」の定義に該当することは明らかである。

弁護人らは、組合員らの意識はストライキ決行に向け高揚していたうえ、ストライキが実施されることも新聞報道などで知らされていたのであるから、そのような組合員に対してする被告人らの指導的行為は「あおり」に該当しない旨主張する。確かに、一般組合員は、日教組新聞、日刊新聞などによって日教組が同盟罷業を実施するであろうことは予測していたものと考えられる。しかし、組合員の同盟罷業に対する考え方は一様ではなく、批准投票においても少なからぬ反対票が出ている。また組織内において争議行為を行なう場合、賛成者の中にも積極的推進者がおれば消極的賛成者もいるのが通常であるが、埼教組も同様であったと考えられる。反対者は批准投票が過半数に達したから自分も参加する決意をいだくとはいえない。消極的賛成者は執行部の参加指令があれば参加しようと考えているに止まるものであり、積極的推進者でも、執行部の指令によって組織は統一的に行動することを知っているから、組織を通じての参加要請が必要でないとはいえず、指令の伝達によって決意を新たにすると見るべきである。組合員の同盟罷業に対する意識は様々であると考えられるが、本件榎本昇一の行動は、参加の意思を有していない者に対しては参加を促し、有している者に対してはさらにその決意を助長するに足りる組織内部におけるその統制力を背景として同盟罷業参加を慫慂するものであると考えられる。したがって、榎本昇一の本件行為は地公法六一条四号の「あおり」に該当するものと判断すべきことになる。弁護人らの主張は採用できない。

また、弁護人らは、日教組の行なう同盟罷業は、その実施手順が確立されていて、批准投票で過半数に達した各県教組の組合員に対して、槇枝委員長がストライキ参加の指令を発動するが、それは批准投票の結果確認の意味しかなく、批准投票の成立によって各県教組のストライキ突入態勢は確立し、組合員も批准成立でストライキに参加するという認識を有しているので、本件における榎本の行動は「あおり」に該当しないと主張する。なるほど、槇枝委員長は、批准投票の結果過半数に達した各県教組に対して、同盟罷業決行の日も確定しないまま指令権を発動する旨宣言していて、批准投票の結果を確認して発表したのに過ぎないようにも見える。しかしながら、集団的組織的行為である同盟罷業を決行するには、個々の構成員が参加の意思を有しているというだけでは足りない。個々の構成員を結集して同盟罷業へ向かわせる指導者の判断と慫慂行為が必要である。一般的に労働組合が争議行為を実施する場合の手順を考察すると、組合幹部は、組合員の労働条件などの向上を目的として使用者と団体交渉を行ない、交渉に行き詰りが生じた場合には、それを打開して交渉を有利に展開させるべく争議行為に訴えることになるが、そのためには、組合員の支持を得てなされなければならないことは当然であり、組合幹部は争議行為を行なうについても、組合内部における意思統一をはかり、過半数の組合員の同意を得なければならない。しかし、過半数の組合員が争議行為に賛成したからといって直ちに争議行為が行なわれるわけではなく、過半数の同意は、組合幹部に対して、交渉の如何によっては争議行為に訴えるという威力を使用者に示して有利な労働条件を獲得することができるという立場を与えるに止まる。組合幹部は、使用者との団体交渉中、争議行為決行による利害得失を検討したうえ決断し、争議行為突入指令を傘下組合員に発することになる。かかる判断は、組合幹部にとって重大な責務であって、その結果如何によっては指導性を問われることにもなる。本件同盟罷業において日教組の採用した手順は、通常の場合と異なっている。しかし前掲記のとおり槇枝委員長の指令により全組合員が行動するとの大会決定がなされている。また同委員長には同盟罷業の中止指令を発する権限が留保されているから、一旦同盟罷業決行指令を発してもその後の交渉次第で止めることもできる。そうすると、日教組におけるストライキ突入の手順も、通常の場合と実質的に異なるところはなく、同盟罷業を実施するか否かを決定するのは結局槇枝委員長ら組合指導者であると言わざるを得ない。埼教組傘下組合員の認識も前掲記のとおり様々であったと考えられ、批准が成立しさえすれば、日教組及び埼教組本部の意向とは無関係に同盟罷業が実施され、組合員が参加していくという実体にあったとは到底考えられない。したがって、弁護人らの右主張も採用できない。

さらに弁護人らは、埼教組には「認め合い」の慣行があり、これは多数意見に基づく組織意思で拘束されない個人の自発的意思を尊重するもので組織の統制力を背景とした慫慂行為というものは本件では成り立たない旨主張する。「認め合い」の慣行は、個人的な事情で同盟罷業に参加できなかった組合員に対して、その立場を考慮するという行き方であり、不参加組合員に統制違反を理由に不利益処分を課することはしなかった事実は認められる。しかし不参加の事情を斟酌するといっても、やはり埼教組本部としてはできるだけ参加を求めていることは否定できないし、組合員側でも統制違反で処分されることはなくても、組合員として組織を通じて参加を求められると心理的圧迫を受けることも事実であろう。埼教組本部の同盟罷業への参加呼びかけは、組合員に対して心理的に働きかけるものであり、組合員としての意識に訴えて、参加の決意を生ぜしめ、またはすでに生じている決意を助長する役目を十分に果すことができ、不利益処分などの外的強制力を伴なわなくとも「あおり」になると考える。弁護人らのこの主張も採用できない。

(三) 「あおり」の共謀関係

槇枝ら日教組本部役員の協議を経て発出されたいわゆる三・二九指令を受け入れ伝達したことにより日教組本部役員との共謀を認めることができ、被告人を含む埼教組本部役員らと榎本との共謀は、少なくとも第五回拡大戦術会議に出席している者については会議の経過に徴しても現場共謀を優に認定することができる(ちなみに、証人槇枝元文は三・二九指令電報の発出に関与していないが、かかる電報の発出については事前に承知していた旨供述している。)。

四 可罰的違法性がないとの主張、教職員に対する地公法六一条四号の適用は違憲との主張について

弁護人らは、被告人の行為が、仮に地公法六一条四号の構成要件に該当するとしても、あおりの対象となった本件ストライキは、その目的が正当性を有し、手段・態様が単なる労務不提供に止まること、その影響が極めて微弱であること、しかも、ストライキ突入はやむを得ない情況で行なわれたものであるし、被告人が行なったとされる「あおり」行為自体も、ストライキ参加意思に与えた影響は、組合運営の実際や闘争体制確立の経緯に照らして微弱であるから、結局被告人の行為には可罰的違法性がないとか、教職員のストライキに地公法六一条四号を適用することは、教育及び教職員の職務の特質、実態、年間教育計画実施の実情等に照らし、憲法二八条に違反するなどと主張するので、本件ストライキの規模などを述べてから、右ストライキの性格などについて弁護人らが主張する点に沿って検討して行くこととする。

1 本件ストライキの実施

日教組としては、前述のとおり、昭和四九年三月一九日に第五回全国戦術会議の席上、槇枝委員長が、批准が過半数を超えた各県教組に対し、スト指令を発したが、その後右指令を完全なものとして伝達するいわゆる「三・二九指令」を発しただけで、なんら中止指令を発出せず、その結果、日教組傘下組合員は、春闘共闘の一員として、同年四月一一日、全一日のストライキに突入した。突入人員数は、春闘共闘八一単産で約六〇〇万人、うち日教組全体で約三三万人、埼教組では、小・中学校五二九校、三五四三人(うち全一日を通して就業しなかったものは一七四四人)であった(日教組三〇年史、埼玉県教育委員会教育長石田正利作成の捜査関係事項照会回答書)。

2 本件ストライキについて

まず、本件ストライキの目的について見てみると、七四春闘の目標としては「賃金大幅引上げ・五段階賃金粉砕」「スト権奪還、処分阻止・撤回」「インフレ阻止・年金・教育をはじめ国民的諸課題」の三大要求が掲げられていたが、「国民的諸課題」の問題は、福祉、税制、公共料金、最低賃金制、交通政策に関するものであり、政府はこれらの問題について二月下旬から積極的姿勢を示しており、本件ストライキに関連の深い教育予算については、前年度予算に対する伸び率が、予算総額のそれを上回っていて日教組も評価していたという事情にあったため、本件ストライキ突入の直接の契機とはいえないと思われるので一応おくとして、賃金問題については、なるほどスローガンとして「人勧体制打破、労使交渉による賃金決定」を掲げていたし、争議権問題についても、「スト権がとれるまでストライキを継続する」などというスローガンが見受けられるが、公務員共闘が「五段階賃金阻止、賃金大幅引上げ」「処分阻止・撤回、スト権奪還」を二大目標として午前半日規模のストライキを配置して闘った前年度の七三春闘の到達点を見てみるのに、賃金問題については、政府により、初めて「四月二七日に公労委から示された公労協の引上率一四・八パーセント、約一万四〇〇〇円を期待する。給与改定の実施時期は四月一日となることが適当と思われる。」旨の一種の有額回答ともいうべき意思表明がなされ、公務員らは、これを大幅な前進と受け止め評価していた段階であるし、争議権問題についても、政府と春闘共闘との間で「七項目合意」が確認されたが、その内容は、①第三次公務員制度審議会において、今日の実情に即して速やかな結論が出されることを期待するとともに、答申が出された場合はこれを尊重する、とか④処分については公正、慎重に行なう、とか⑤過去の処分に伴う昇級延伸の回復の問題については引続き協議するなどといったものであって、七三春闘に関しても、昭和四八年八月には福岡で一万九〇〇〇名ほど、その後も全国でスト処分がなされるなど、ストライキ禁止法制が撤廃されるという情況からは程遠いものであった。そして、賃金の問題や争議権問題は、昭和三〇年代初めころから公務員らの闘争課題となっていたもので、短期間に一挙に解決をみるという性質のものでないことは明らかであるから、七四春闘で公務員らがスローガンどおりこれらの問題の全面解決を図ってストライキに突入したのであるとすれば、およそ実現不可能な目標を掲げ無益にストライキをする政治ストといわれても仕方がないけれども、公務員、ことに教職員の集団である日教組・埼教組組合員らが、そのような非常識な意識でストライキに突入したとは到底考えられない。したがって、七四春闘における賃金問題の目標は、槇枝、中小路両証人が供述するとおり、七三春闘に引続き政府に一種の有額回答とおぼしき声明を出させ、人事院勧告がやりやすい情況を作り、将来における労使交渉による賃金決定方式の下地を作ることにあったものと認められ、争議権問題についても、右両名の供述に見られるとおり、昭和四〇年代前半に一連の最高裁判所の判例により、争議行為をあおる等の行為のうち、争議行為に通常随伴する行為が不処罰とされたのに引続き、一歩進めて、ストライキなど争議行為を理由とする行政処分の抑制を図ることの実績作りを当面の目標としていたものと見るのが相当である。そうであるから、本件ストライキは、およそ実現の可能性がない目的のためにストライキに突入した政治ストといわれるようなものでないことだけは確かであろう。しかしながら、争議行為が実現可能な要求獲得を目指して行なわれなければならないことは敢えて指摘されるまでもない当然のことであって、そもそも公務員の争議行為は、私企業であれば「正当な目的」の範囲内で行なう限り民事・刑事の責任を追及されることがないようなものが禁止の対象になっているのであるから、本件ストライキがいくらスケジュールスト、政治ストではないからといって、違法性減少、阻却の理由になるものではない。

次に、本件ストライキの手段・態様が単純な労務不提供に止まり、それ以上に積極的、作為的行為をともなったものではなく、その影響もほとんどないとの主張についてであるが、ストライキの影響ということを考えるについて、弁護人らは、一日の授業の遅れ程度は年間授業計画の中で取り戻せるとか、教育の成果は長い目で見る必要があるから一日の中断で教育への影響を論じるのは誤りであるというような主張をするが、そのような主張は、犯罪の成否に影響を与える程違法性を減少させる理由になるとは到底考えられないし、そもそも何故公務員の争議行為が禁止されているかといえば、職務の停廃が国民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすか、そのおそれがあるという点のほか、争議行為が、議会における民主的な手続きによって行なわれるべき勤務条件の決定に対し不当な圧力となりこれを歪めることになるから、それを排除しようという点にもあるのであって、本件ストライキの影響という場合、ただ生徒らの被る影響の程度だけを問題とすべきではなく、これに加え、政府、議会に対する圧力ということも考慮しなければならない。そして、ストライキはまさに政府、議会に圧力を加えるために行なう有効な方法であることは何人も認めるところであるし、さらに、本件、ことに埼玉県においては、大規模な捜査が行なわれ教育環境に重大な影響を及ぼしたということは弁護人ら自ら主張しているところであるが、このような捜査をせざるをえない状況を作出したのはストライキ突入という事実にあることが否定できない以上、捜査が行なわれたことにより教育環境、特に、生徒らの範たるべき教員らが捜査を受けることとなった場合、そのことが生徒たちの心身に与える悪影響というのも、相当因果関係の範囲内にある影響として軽視することはできないであろう。そうであるから、本件ストライキが各方面に対し及ぼした法益侵害の程度が軽微であるなどとは到底認めることができない。したがって、この点を主な理由とする教職員に対する地公法六一条四号の適用は違憲という主張は理由がない。

また、本件ストライキは、各種問題について、政府と春闘共闘委との間で交渉を積み重ねてきたのに、交渉は進展せず、本件ストライキ直前の四月一〇日、政府が、突如衆議院予算委員会で「ゼネストについて」という閣議決定を発表し、一方的に交渉打切りを宣言したと受け取れる不誠実な態度をとるなどしたため、やむを得ず突入したものであると主張するが、そのように、交渉が進展しなかったから、政府が交渉打切りを宣言したから、ストライキを打っても仕方がないというのであれば、地公法の規定は全く意味がないことに帰するのであって、地公法の右規定が合憲と解される以上、弁護人らの主張は到底認めることができない。

以上のとおり、本件ストライキは、その突入の経緯、目的、影響などどの観点から見ても、そのあおり行為の可罰的違法性を充足するのになんら不十分な点は認められない。

3 被告人の行為の可罰的違法性について

弁護人らは、被告人の行為は、埼教組組合員のストライキ突入への決意になにほどの影響をも与えるものではないから、あおり行為として予定される違法性を有していないと主張する。しかし、先に検討したとおり、「あおり」と認められるためには厳格な要件があるのであって、その要件を充足し「三・二九指令」がまさに本件ストライキについての最終的な引金と評価されるものである以上、被告人の行為が、「あおり」行為として予定されている可罰的違法性を欠くとは認められない。

以上のとおり、被告人のあおり行為については、そのあおった本件ストライキの惹起した法益侵害も決して軽微とはいえないし、被告人のあおり行為自体が傘下組合員に与えた影響力も犯罪の成否に影響するほど違法性が軽微なものとはいえず、結局被告人の行為に可罰的違法性がないという弁護人らの主張も採用できない。

第五量刑の理由

被告人の本件所為は、いわゆる七四春闘の一環として、全国的に大規模なストライキが行なわれた際に、日教組の一員としてそれに参加した埼教組の委員長として組合員らにストライキ参加をあおり、三五四三人の傘下組合員をストライキに参加させ、教育環境等に少なからぬ影響を与えたものである。ことに埼玉県では、本件ストライキが惹起した地域社会の混乱は、それらすべてが被告人らの責に帰すべきものということはできないとしても、その原因の発端を作ったものとして責任を負わねばならないものと認められよう。そのように考えると、被告人の刑責は軽視することは許されないといえる。

しかし、本件所為は、全農林事件判決以前であれば、刑事処罰を受けない行為とされていたことは明白であり、本件当時も、地公法に関しては、形式的には都教組事件判決が指導的判例として残っており、全農林事件判決にしても、今日のように強固に確立されたものとなるか否か予測することが必ずしも容易でない状況下であった。また、被告人の所為は、ストライキのあおりが可罰とされる以上、「あおり」をどのように定義するにしてもそれに該当するというほかないものであるとはいえ、典型的なスト指令の伝達とは異なり、ストライキ参加を説得・慫慂する力としてはさほど強く作用したとは認められない。このことは批准投票が過半数を超えれば、すでに組合員の間にストライキ遂行の意識がそれなりに醸し出されているのが自然であり、認め合いの慣行があるというような点からも首肯できるといえよう。それに、埼教組の本件ストライキは、それだけを見れば地域社会に与えた影響などは軽視できないとしても、四月一一日の全国統一行動、また、そのうちの日教組の中で占める割合は、全体の中でみるならば、ほんの一握りの部分でしかないということもいえないわけではない。更に、本件ストライキが敢行された当時の社会状況は、公知のように、狂乱物価、異常インフレなどにより賃金の実質的目減りが著しかったという事情にあり、そのような状況下でやむなくストライキに立ち上がった組合員も少なからず存在したであろうことも窺われる。ILOなどの見解についても、当裁判所としては賛成することはできないが、見方によれば、八七号条約が、一定限度でスト権を保障しているものと解釈しているとの考えもないではなく、それによれば、人事院勧告制度は、スト権を奪ったことの代償措置として必ずしも十分なものではなく、更に近年では、それすら完全に守られていない状況にあることも、「あおり」処罰を考える上では一つの要素になることも否定できない。ストライキに関連して体刑を科すことをなるべく避けるようにしようというのが世界的な潮流であるようにも窺える。以上のような被告人に有利な諸事情を考慮すると、検察官が主張する懲役一年という量刑は適切とは思われない。以上の次第であるから、本件については罰金刑を選択するのが相当であると認めた。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 杉山忠雄 裁判官 久我泰博 裁判官新城雅夫は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官 杉山忠雄)

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